北杜市の偉人 藤巻宣城(ふじまきよしき)北杜市須玉町
『山梨の文学』山梨日日新聞社刊 一部加筆
大正年代から活躍した峡北の作家
藤巻宜城(ふじまき・よしき)
一九〇四(明治37年)生まれ~一九六八(昭和41年)歿
あさな朝ここの丘べの桐の木の
花を見つつも湧けるかなしみ
十八歳の藤巻が「あぢさゐ」(一九二二年六月号)に不二牧琴治の筆名によって発表した短歌である。明け方の桐の花に寄せてひそかな感情を述べている。
略歴
藤巻宜城は、一九〇四(明治三十七)年四月、現在の須玉町大豆生田に生まれる。
一九一九(大正八)年、甲府商業学校に入学。ここで遠藤仁市などの文学愛好グループに入って活動、文芸同人誌「あぢさ
ゐ」を発行、毎号、不二牧琴治の筆名によって小説、詩、短歌と幅広く作品を発表した。
小説「五葉松」は「あぢさゐ」(一九二三年二月号) に掲載された。明治三十年代の鉄道が通るころの峡北地方を舞台に、旧家が財産を失う顛末を描く。
「あぢさゐ」は、一九二三年七月、終刊。藤巻は、一九二五年四月編集兼発行人となって.「映象」を創刊。この「映象」は、恩地孝四郎の版画が表紙を飾り、農民芸術を目指して、上野頼三郎の「小さな巣他二編」など、田園を描いた詩を中心とする瀟裏な内容であった。
戦後、藤巻は、山梨県庁に勤め、一九五八(昭和三十三)年、かつての「あぢさゐ」同人を中心に「中央線」を創刊、編集を担当して、山田多賀市、熊王徳平、渋谷俊などの作家を結集し、文学から美術工芸まで幅広い誌面構成を図った。やがて十年後の一九六八年、藤巻は、第三次「中央線」を発行、藤巻小太郎の筆名で小説「赤い泥流」を発表する。その描写には、一貫して、作家としての眼がとらえた峡北地方の風土が生きている。(井上康明氏著)