山梨県の偉人 内藤多仲(ないとうたちゆう)
山梨県の偉人 内藤多仲(ないとうたちゆう)『山梨百科事典』山梨日日新聞社 一部加筆1886(明治19).6.12-1970(昭和45).8.25。山梨県榊村(櫛形町曲輪田...
View Article武川町の文人 松永実円(日研)実相寺住職
武川町の文人 松永実円(日研)実相寺住職 実相寺第二十九世住職。明治二十四年(1891)四月三日、岐阜市元士族渡辺豊吉三男に生まれ幼くして松永家を継ぐ。七歳のとき当山第二十八世永田日祐聖人の室に入り慈教を受けた。姓は松永、字は実円、日研と称し、大正二年(1913)三月、東京堀の内檀林本科卒業、大正三年新潟県大乗寺住職、同八年三月実相寺住職に就任する。...
View Article武川町出身 斉木逸造(天民)甲府市長 北巨摩
武川町出身 斉木逸造(天民)甲府市長 北巨摩 明治四年(1871)牧原村医師斉木良斉の長男として生まれ、同三十二年(1899)甲斐新聞を起し、のち社長となり峡中文化の推進に努めた。...
View Article武川町の文人 一木義三郎(白髯)
武川町の文人 一木義三郎(白髯) 慶応二年(1866)、黒沢村斉藤義思忠次男として生まれ一木小左衛門の養子となる。 明治十九年(1886)徽典館高等師範科卒業、北巨摩、中巨摩郡下小学校長を歴任、郡教育会評議員、北巨摩教育会分会長等その功績大にして県より表彰された。...
View Article武川町の文人 石原守政(常山)
武川町の文人 石原守政(常山) 嵩山は寛政八丙辰(一七九六)七月二十八日山高村石原守敬の長男として生まれ通称太郎左衛門といい後に民部左衛門と改めた。...
View Article北杜市武川町の文化史 墨跡 石原守政 『武川村誌』
北杜市武川町の文化史 墨跡 石原守政ほか『武川村誌』 書は文字を素材とする造形芸術で、中国及び中国の文字を使用する朝鮮、日本、安南などで発達した。 文字は言語に代わる符号として発達したので、万人に共通し理解される一定の約束さえ守られて書かれるなら、その結果としての形の美醜は問題としないともいえる。...
View Article武川町が生んだ芸術家 牛田喬修
牛田喬修 明治三十三年(1900)二月十五日武川村柳沢(旧駒城村)五七九番地において、牛田菊次郎の長男として生まれた。 生来から画才があり、小学校を卒業すると上京し、大正三年(1914)私立東京中学校に進学した。学生時代から芹田劉生、木村荘八の草土社の影響を受けたため、草土社風の絵を多く画いた。...
View Article武川村の芸術家 日向彦四郎(雲城)三枝雲岱に学ぶ
日向彦四郎(雲城)三枝雲岱に学ぶ 日向彦四郎は江戸時代弘化元年(1844)十二月十六日三吹村日向忠右衛門の長男として生まれる。 画家を志し南画の大家三枝雲岱に学び、雲城と号した。花鳥、山水を得意とし、襖絵など数多く残している。師匠...
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