北杜市武川町の俳人 輿石糊秋 『武川村誌』
北杜市武川町の俳人 輿石糊秋 『武川村誌』 通称載彰、守信亭と号す。明治二十九年(1896)二月五日新富村上三吹に熊太郎の長男として生まれる。農蚕を業とし、幼いころから俳句に興味を持ち、二十歳ごろから同村井上潦鵞の社中に入り一層精進した。常にふところに雑記帳を入れておき、原の畑に桑つみに行き坂道を桑を背負って下りながら、一休みする少しの暇でもすぐ作句しこれをしたためた。...
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北杜市武川町の俳人 武藤亜山 『武川村誌』 武藤亜山は明治二十三年(1890)三月十五日武藤代作の長男として北巨摩郡武川村下三吹(現、北杜市武川町)に生まれた。武藤家は江戸時代には代々名主、長百姓を勤めた家柄で、父代作も村長を勤めている。 本名を忠信といい、俳句を志し、大正から昭和にわたって、白田亜浪に学び号を亜山または忠信と称した。...
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武川町の俳人 林立平 『武川村誌』 今は武川村牧原に住んでいるが、一生れは北巨摩郡穴山村次第窪(現在の韮崎市穴山町)に明治四十四年(1911)十一月二十四日林董平の八人兄弟の次男として生まれた。 能穴焼で知られている初代林茂松を実兄に持つ立平一家は芸術兄弟として土地の人たちからも親しまれている。商売柄茶をよくし、川柳、俳句に親しむかたわら郷土史の研究にも趣味をもつ人である。...
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北杜市武川町の俳人 小沢草の王 『武川村誌』 草の王は、本名武八といい、明治三十年(1897)四月二十八日本村宮脇八七五番地に、父與逸、母いまの次男として生まれた。 東京薬学専門学校(現東京薬科大学)を卒業するや、横浜市八幡橋で小沢薬局を開業したが、昭和八年(1933)故あって宮脇の生家に帰り耕農薬局を開店した。その後牧原に出て武川薬局と改名して営業を続けた。...
View Article勝沼五郎館址論証への具体的な方法 山本寿々男氏著
勝沼五郎館址論証への具体的な方法 =史実・実否争点のルールの確立を求めて=日本考古学協会埋文委員 山本寿々男氏著 一部加筆『甲州人々(じんじん)』昭和51年 ㈱山梨タイムズ社刊...
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山梨県の先人 内藤宇兵衛(ないとううへえ)貴族院議員 『山梨百科事典』山梨日日新聞社 1859(安政6).1.6-1926(大正15).4.6。 甲斐国巨摩郡築地新居村(山梨県昭和町)の出身。手兵衛は世襲の称で、実名は直温(ただやす)。1865(慶応1)年、7歳のときから寺子屋あるいは各地の塾で修学、南部村(南部町)の蒙軒学舎にも学んだ。...
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山梨県の先人 内藤寛造(ないとうかんぞう) 『山梨百科事典』山梨日日新聞社 1852(嘉永5).12.20~1908(明治41).1・18。 巨摩郡御岳村(甲府市)に生まれ、父の誉喜は内藤播磨といい、御岳金桜神社の神主である。父から水晶研摩技術を習い覚え、塩入寿三とともに明治(1868-1912年)初期の水晶名工として選ばれた。...
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