武川町の文人 一木義三郎(白髯)
慶応二年(1866)、黒沢村斉藤義思忠次男として生まれ一木小左衛門の養子となる。
明治十九年(1886)徽典館高等師範科卒業、北巨摩、中巨摩郡下小学校長を歴任、郡教育会評議員、北巨摩教育会分会長等その功績大にして県より表彰された。
大正十年(1921)三月、在職三十五年で退職、その後は社会教育一木式健康法で朝鮮、満州、米国等行脚し、特に書道に長じ「神州神代桜の下に生きる」と印し、号を自賛と称した。自ら頬に白い髯を伸ばし、頼まれればいつ、どこででも喜んで一筆認めてくれた。襖紙、横額、掛け字等本村内にはかなり書き残されている。昭和十二年(1937)一月、台南にて七十二歳で永眠された。