武川町の文人 長坂勘三郎(桂園)北巨摩郡勢一斑の編集
明治六年(1873)八月、牧之原において父園兵衛の長男として生まれた。明治二十八年(1895)、山梨県師範学校卒業、北都留郡葛野尋常小学校訓導兼校長となり、明治四十二年(1909)、中巨摩郡視学を歴任した。
大正十三年(1924)、北巨摩郡勢一斑を編纂、退職後は郷里において昭和十七年(1942)、武川村長、同農業会長となり、二十年(1945)辞任する。
この間、長坂桂国の号をもって俳句も、精力的に雲母に投句するなど活躍した。特に書道には長じ雅号を武郷と称しその筆跡を残している。
昭和二十四年(1949)十月、七十七歳をもって逝去した。