武川町出身 斉木逸造(天民)甲府市長 北巨摩
明治四年(1871)牧原村医師斉木良斉の長男として生まれ、同三十二年(1899)甲斐新聞を起し、のち社長となり峡中文化の推進に努めた。
明治三十八年(1905)甲府市会議員、同四十年県会議員となってから再選されること五回、その間市会議長、甲府市長、県会議長に就任し、議会議員在職四〇年に達した。生涯を通じて地方自治に貢献した功績を認められ、昭和二十六年(1951)藍綬褒章を授与された。
甲府市会議長、甲府市長、県会議長など政治生活が長かったため名士として書も能くし、号を天民と称し、一般的には天民翁といえば県民なら誰でも知るところである。
昭和三十年四月、甲府市名誉市民の称号を贈られ、同年十一月一日八五歳の生涯を終わる。実相寺に墓がある。