北杜市武川町の俳人 輿石糊秋 『武川村誌』
通称載彰、守信亭と号す。明治二十九年(1896)二月五日新富村上三吹に熊太郎の長男として生まれる。農蚕を業とし、幼いころから俳句に興味を持ち、二十歳ごろから同村井上潦鵞の社中に入り一層精進した。常にふところに雑記帳を入れておき、原の畑に桑つみに行き坂道を桑を背負って下りながら、一休みする少しの暇でもすぐ作句しこれをしたためた。
特に俳句相撲は得意とするところであり即席作句は上手であった。結婚式などには必ず一句作って披露したものである。山日俳壇には精力的に投句し松蔭会の一員として活躍した。昭和五年(1930)初春には知足園藍荘師匠より知彰園を、続いて翌六年晩秋には再び師匠の号、守静庵の称号を譲与し、俳画は武藤亜山に師事するなど長野県諏訪俳壇との交流も盛んに行い、俳道を盛んならしめたが、戦後は俳句の流れが変わり現代風になったため活動を止め、専ら自宅において作句を続けていたが、昭和四十九年五月二十三日七十八歳をもって他界した
化粧する窓開けておく牡丹かな
松の影すずしき水の流れかな
春の川赤緒の草履ながれけり
窓際や不二を見越しの置炬燵
芹摘むや翌日の客待つ祝ひ事
わびて出すにわか料理やうぐいす菜