甲斐の先人 内藤清右衛門(ないとうせいえもん)『甲斐国志』
『山梨百科事典』山梨日日新聞社
1751(宝暦1)・9・24-1831(天保2).10.12。
巨摩郡西花輪村(山梨県田富町)出生。諱は正輔、字は正輔、花渓と称した。清右衛門は通称である。家は代々豪農で、父祖以来村民の教化に努めたが、ことに清右衛門は1801(享和1)年「時習館」を創設し、すぐれた教師を招いて教授に当たらせた。
松平定信は、その志をよみして「時習」の二大字を揮毫して与えた。1805(文化2)年、甲府勤番支配松平定能の委嘱を受けて「甲斐国志」編集を主宰し、森島其進、村松善政らの協力を得て、1814(文化11)年に完成した。すべて124巻、近世諸国地誌中の愁眉と評されている。<佐藤八郎氏著>