山口素堂 妻のふるさと甲斐に入る
『甲山記行』(素堂著) それの年の秋甲斐の山ぶみをおもひける。そのゆゑは、予が母君いまそかりけるころ身延詣の願ありつれど、道のほどおぼつかなうてともなはざりしくやしさのまゝ、その志をつがんため、また亡妻のふるさとなれば、さすがになつかしくて、葉月の十日あまりひとつ日、かつしかの草庵を出、むさしの通を過て...
View Article甲府市濁川 甲斐国志 素道の項
『甲斐国志』素道 元禄八年(1695)乙亥歳素堂年五十四、帰郷して父母の墓を拝す。且つ桜井政能に謁す。前年甲戊政能擢されて御代官触頭の為め府中に在り。政能は素堂を見て喜び、抑留して語り濁河の事に及ぶ。嘆息して云う。濁河は府中の汚流のあつまる所、頻年笛吹河背高になり、下の水道『みずみち』のふさがる故を以て、濁河の水山梨中郡に濡滞して行かず。云々...
View Article『連俳睦百韻』による素堂消息
『連俳睦百韻』による素堂消息 素堂を語る時、安永八年(1779)三世素堂による『連俳睦百韻』は外せない。『甲斐国志』は寛政10年(1798)、甲府勤番支配として滝川長門守利雍が赴任し、利雍在任中の同...
View Article山口素堂序文 山田宗偏 若草茗椀記(わかくさめいわんき)
若草茗椀記(わかくさめいわんき)旧知山田氏茶器数多(あまた)翫(もてあそ)べる中に、分きて若草の茗椀は、その拠り出る所、千宗守翁の家に、宗易の土より伝え来たる木守(きまもり)といえる茶椀、何れの年にか、池魚の災いに罹りしを、其の形を写して玩ぶこと前に同じ、其の後(おく)る方、守翁手づから写して並べ、これを愛せられし、ある時山田氏のもとへ袖にし来たりて与えられしとなり、抑(そもそも)これを若草と名付く...
View Article山口素堂 俳諧大辞典 明治書院 昭和三十二年発行
俳諧大辞典 明治書院 昭和三十二年発行俳人。山口氏。名は信章。字は子晋、文、公商。通称、勘兵衛(異説もある)。別号、来雪・松子・素仙堂・蓮池翁。又、茶道の号に今日庵・其日庵。覚永十九年(一六四二)五月五日生、享保元年(一七一六)八月十五日没、年七十五。墓、上野谷中感応寺中瑞音院。...
View Article素堂の事 『俳聖芭蕉』野田要吉氏(別天楼)著
『俳聖芭蕉』野田要吉氏(別天楼)著 昭和19年刊。理想社発行 延宝時代桃青の連句 宗鑑守武等の興した俳譜は俳諧連歌のことで、滑稽體の連歌といふ意味である。俳諧といへば、その初頭の長句、即十七句の発句と、之に続く短句、十四字の脇句より以下の附合全體を総括した名称であるが、近来は俳諧のことを一般に連句と称えているから、私も連句と呼ぶことにする。...
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