若草茗椀記(わかくさめいわんき)
旧知山田氏茶器数多(あまた)翫(もてあそ)べる中に、分きて若草の茗椀は、その拠り出る所、千宗守翁の家に、宗易の土より伝え来たる木守(きまもり)といえる茶椀、何れの年にか、池魚の災いに罹りしを、其の形を写して玩ぶこと前に同じ、其の後(おく)る方、守翁手づから写して並べ、これを愛せられし、ある時山田氏のもとへ袖にし来たりて与えられしとなり、
抑(そもそも)これを若草と名付くること、焼野の草の其の根たらむ、若葉の生い出たる心をとるなるべし、又剥の卦の木守の心をいわば、これを復といわん、若草若草武蔵野の縁の心も寵りて楽しみ果てなかるべきをや、唐・玉川の言えらく、肌骨(きこつ)清く、六椀仙家に通ずとかや、
将に是れ老いず死なずの薬となりて、常しなえに若草とよぶものならじ
雲行きて雨を施し、物皆潤う
心地悠然たること、草根に通ず
見見ゆるに若葉を生ずる時有り
一椀又是一乾坤なり
素堂山子書 (印)(印)
元禄十五新樹の時