『連俳睦百韻』による素堂消息
素堂を語る時、安永八年(1779)三世素堂による『連俳睦百韻』は外せない。『甲斐国志』は寛政10年(1798)、甲府勤番支配として滝川長門守利雍が赴任し、利雍在任中の同 11年(1799)は林大学頭が、甲斐の地誌編纂を利雍に命じた。そして文化十一年(1814)に完成した。従って『連俳』はそれ以前に素堂周辺の人々で編まれたもので、『国志』編纂関係者も年代的には「素道」の項に取り入れることが出来た。しかし『国志』の文面からはこの集を取り入れた形跡はない。従って素堂事績も大きな誤りを生んでしまった。しかし甲州文庫の功刀亀内は、上段にこの『連俳』を掲載している。その以後研究者は『国志』からの引用を繰り返している。