『甲山記行』(素堂著)
それの年の秋甲斐の山ぶみをおもひける。
そのゆゑは、
予が母君いまそかりけるころ身延詣の願ありつれど、
道のほどおぼつかなうてともなはざりしくやしさのまゝ、
その志をつがんため、また亡妻のふるさとなれば、
さすがになつかしくて、葉月の十日あまりひとつ日、
かつしかの草庵を出、むさしの通を過て
かはくなよわけこし跡はむさしの々月をやどせるそでのしら露
其日は八王寺村にやどり、十二日の朝駒木根の宿を過、
小仏峠にて
山窓や江戸を見ひらく霧の底
上野原に昼休、これより郡内領なる橋泊。
橋の長さ十六間、両方より組出して橋柱なく、
水際まで三十三尋、水のふかさも三十三ひろあるよしをまうす。(註 猿橋のこと)
暫シ止レ吟ズルコトヲ鞍往キ又帰、渓深ク苔滑カニシテ水音微カナリ。
雲埋二老樹一猿橋上、未レ聴二三声一沾二客衣一ヲ。
勝沼昼の休す。此所あふげば天目山、
臥て見れば一里ばかりの間みな蒲萄のみなり。
下くゞる心は栗鼠やぶどう棚
伊沢川日上人(日蓮)の一石に一字書つけてながし玉ふも拾ひつくして乗るによしなし。
さびたりとも鮎こそまさめたゞの石
十三日のたそがれに甲斐の府中につく。
外舅野田氏(註、妻の父)をあるじとす。
十五夜、
またもみむ秋ももなかの月かげにのきばの富士の夜のひかりを
十三夜沢三寂興行に
楓葉巻レ簾入レ興時、主賓相共ニ促二ス二新詩一ヲ。
今宵玉斧休脩ノ月、二八蛾眉猶是レ宜シ。
晴る夜の江戸よりちかし霧の不二
十九日信玄公古府中を尋侍りて
古城何處問二フ栖鴉一ニ、秋草傷霜感慨多シ。
力抜レ山今時不レ利アラ。惜シキ哉不レ唱二大風ノ歌一ヲ。
城外の夢の山にのぼりて奇石を見出し、
草庵へむかへとりて山主人に一詩をおくる。
万古高眠老樹ノ間、一朝為我落ツ慶寰ニ。
石根應レ見白雲ノ起ルヲ、今尚不レ醒在リ夢山ニ。
二十一日身延へ詣けるに青柳村より舟を放て
竹輿破レリテ暁出二城門一ヲ、紅葉奪フレ名ヲ青柳村。
十里舟行奔二リ石上一ヲ、急流如レ矢射二ル吟魂一ヲ。
はき井の村につきて某夜はふもとの坊にやどりし。
元政上人の老母をともなはれし事をうらやみて、
夢にだも母そひゆかばいとせめてのぼりしかひの山とおもはめ
一宿ス延山ノ下、終宵聞二ク妙音一ヲ。
清流通リテレ竹ヲ鳴リ、閑月落二ツ松陰一。
暁ニ見二烟嵐ノ起一ルヲ、偏ニ忘二ル霜露侵一スヲ、
鐘鳴ハ猶二ホ寂莫蕈一、好ク是ヲ洗二フ塵心一ヲ。
翌朝山上に至り上人の舎利塔拝て、かひの府より同道の人、
上人の舎利やふんして木々の露
北のかたへ四里のぼりて七面へ詣けるに山上の池不レして一点のちりなし。
此山の神法会の場に美女のかたちにて見え給ふよしかたりけるに
よそほひし山のすがたをうつすなる他のかゝみや神のみこゝろ
下りに一里ばかりの間松明の火にてふもとの坊に帰りぬ。
翌日甲斐の府へ帰路の吟
帝おちの柿のおときく深山裁
重九の前一日かつしかの草庵に帰りて
旅ごろも馬蹄のちりや菊かさね