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山口素堂の出身地・官職
出身地・官職出身地について自らは触れていない、しかし周囲からは甲斐府中(甲府)との声も上っているが、『甲山記行』(素堂著)では亡母の身延代参の中で、「亡妻の故郷なればさすがに懐かしくと記し、府中で舅野田氏を主とす」と書く。...
View Article山口素堂の孫 素安
『毫の秋』山口素安〕執文朝が愛子失にし嘆き我もおなしかなしみの袂を湿すことや、往し年九月十日膏祖父素堂亭に一宴を催しける頃、 よめ菜の中に残る菊といひしは嵐雪か句なり、猶此亡日におなしき思ひをよせて...
View Articleヤマトタケルと甲斐
景行天皇四十年(110)天皇は倭武命(ヤマトタケルミコト)に詔勅して東海道十二道を始め、東夷追討を命じ給。依て吉備臣、建日子を副帥とし、比比羅木の八尋矛を賜る。それより伊勢の大御神の宮に参詣し、伯母の倭日女に大御神の御神託に依て、宝剣(但し、天の叢雲の剣也)並に錦の御袋を授け給わり、尾羽張国、国造の祖、尾張源太夫穂明男命の家に入り座々て、一女岩戸姫と一夜の契り深く成り、七箇月十八日泊り、岩戸姫、身目...
View Article甲府市 山口素堂家の墓?の調査
『素堂の墓』江戸感応寺甲斐国志に谷中感應寺(今の天王寺)に葬るとあれど墓現存せず。位牌一基を蔵之。小石川区指ケ谷厳浄院に山口黒露の建し碑あり、明和元年申庚の歳四十九の春秋の成より、小碑を黒露建と刻せり。...
View Article山口素堂は濁川改浚工事には関与していない
山口素堂は濁川改浚工事には関与していない この書は山口素堂の全貌を資料をもとに解明し、真の素堂像を人々に伝えることを目的にしている。 文中に於いて過去の間違いを正す為に、誤記述のある書籍名及び著述者を記す場合もある。真実を追求する段階で必要であり、許されることと信じている。 これまでも機会があるごとに山梨県内の歴史認識の曖昧さを訴えてきたが、浅学な一般人の歴史研究などと無視されてきた。...
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