<七合目:聖徳太子・駒ヶ岳>
甲斐國志巻之三十五 従五位下伊豫守定能編輯----山川部第十六ノ上都留郡----
七合目この間小屋およそ九軒。この辺りより道益々急なり。「駒カ嶽」と云う所に小屋あり。
「聖徳太子の像」並「鋼馬」を安置する。
新倉村如來寺兼帯す「太子略伝」に云う。
----推古帝六年夏、四月、甲斐國貢一驪駒、四脚白者、云々。舎人調子麿加之飼養、秋九月試馭此馬、浮レ雲東去、侍従以仰観、麿獨在御馬有、直入雲中、衆人相驚、三目之後、廻レ輿帰来、謂左右曰、吾騎此馬、瞬レ雲凌レ霧、直到富士嶽上、轉到信濃、飛如雷電、経三越、竟今得レ帰----、
按ずるに、この古事を以って「駒カ嶽」と云いて、太子を安置せるあり。