阿茶の局 あちやのつぼね
阿茶の局 あちやのつぼね 江東区深川三丁目に雲光院という寺がある。雲光院殿従一位尼公阿茶の局の本似で建てられた寺で、局の墓も現存している。 局は徳川家康の侍女で、慶長十九年(一六一四年)大坂冬の陣に家康に従って出陣、十二月十八日京橋次屋で、秀吉の北政所高台院と会って講和の打合せを行い、二十二日高次の妻常高院と共に大坂城に乗り込んで、秀頼父子から講和の警告を受けとるなど、東西和睦に活躍した。...
View Article<賓永四年(1707)山焼ノ事 富士山噴火>
<賓永四年(1707)山焼ノ事> 吉田村師職(富士浅間神社)田邊安豊ト云シ者、親見ル所ヲ記ス体載長歌ノ如シ、訓ノ施シカクキ所アレトモ、最實記トスベシ。...
View Article富士浅間明神(上吉田村)
富士浅間明神(上吉田村) ○ 諏方ノ森ニアリテ除地六段八畝弐拾四歩 ○ 例祭四月初申日社主小佐野伊勢、御師八十六家 ○本殿(梁弐間五尺、桁間、高三丈六尺) 元和元年(1615)烏居土佐守、再建延宝六(戊午)年(1678)秋元摂津守、修造、後、藤原光清と云う者(江戸人)本願として再建、享保十八年(1733)造営、元文三年(1738)三月落成 ○幣殿(梁三間弐尺桁弐丈八尺)...
View Article富士山記 隔掻録目次
隔掻録目次 1、富士山上略記■ 2、山中ノ話 3、富士 4、富士山産物 5、御身貫並偽字 6、淺間ヲ仙元ト書事 7、賓永四年山焼ノ事 8、庚申ヲ縁年トスル事並参詣人数 9、農鳥ノ事 10、富士行者小傳 (一部、片仮名を平仮名に、漢字も一部現代用語に改める) 通篇森嶋子(森嶋弥十郎基進)與が郡内志富士山ノ條に本つき、さらに文を修して共長きを省き、且客中耳食する所を以って、その缺点を補う。...
View Article「隔掻録」富士山・浅間神社・有料登山・富士講行者<2>
<今では無料で富士山に登れるが、当時は至る所に通行税を徴収する仕組みになっていて、その金がなくて途中で引き返した事例もある。こうした金銭の授受はもちろん、幕府公認のことでもあった> ●登山までの記述...
View Article「隔掻録」富士山・浅間神社・有料登山・富士講行者<3>
<さあこれからが登山である。歴史と信仰豊かな状況が理解できる。しかしまた金が要るのである。> 一合目から三合目まで、現在の残っていりものはあるのか。 ●<一合目> 登山門ヨリ此二至ル行程三里余、茶屋四軒アリ、松杉ノ間ヲ穿テ荊辣ヲ排ヒテ登ル、二町斗リニ大日堂アリ鈴原大日ト云フ、享保三年(1718)ニ炎上セシゴト、木立村妙法寺ノ舊記ニ大日ノ像モ焼召レ候トアリ、傍ニ神明ノ社アリ、此地ヲ一合目ト云フ、...
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