堀内大学 堀内大学(1892~ )
『日本文学全集』全29巻
監修 谷崎潤一郎 武者小路実篤 志賀直哉 川端康成 一部加筆
東京に生まれ、慶応大学に学ぶ。
明治四十年「新詩社」にはいり詩歌を学び、佐藤春夫を知る。
春夫と共に慶大予科に入学し、もっぱら詩作に従い、四十三年鉄幹の推薦で「スバル」に短歌を発表、永井荷風の推薦により「三田文学」に小品を寄せて文壇に登場した。その後十数年間を外交官なる父に従って欧州、南米に青春を送り、その問、フランス語に精通し、フランス象徴派後期の詩人から強い影響をうけた。
大正六年戦火をさけて一時帰朝、翌年最初の訳詩集『昨日の花』を刊行、大正八年に第一詩集『月光とピエロ』を出して、早くも日本象徴詩に新しい西欧的発想をもたらし、日夏耿之介、西条八十らと大正象徴派の主流を形成した。その後『水の面に書きて』『新しき小径』『砂の枕』などの詩集を出すにおよび、しだいにウイティシズムとエロティシズムをまじえた諷刺的詩風をたどり、瀟洒ショウシャと優美の近代派的詩風を完成した。
訳詩面においては『失われた宝玉』『サマン選集』を出し、ついに大正十四年大冊『月下の一群』を刊行した。この訳詩集は敏の『海潮音』、荷風の『珊瑚集』に比肩する名訳詩集として知られている。またここに収められた数多くのフラン ス近代派の訳詩ほど、詩の純粋性を渇望する昭和初期の若い 詩人たちの心をとらえたものはなかった。
大学はつづいて訳詩集『空しき花束』を出したが、その他 ボオドレール、ヴュルレエヌーボオル・フォール、アポリネール、コクトオ、シュペルピエール、ランボー、リルケなどの個人の訳詩集を出し、さらにジャコプ、ポオドレール、ヴァレリーの詩論、ロマン、レニエ、コクトオ、ラディゲ或いはジイド、フィリップ、テクジュペリその他数多く小説の翻 訳を著わし、現代詩のみでなく、昭和文壇の展開にはかりしれない大きな寄与をもたらした。
大学の詩風は戦後とみに人生的苦渋の重量を加え、それを近代的主知が東洋的枯淡のこちら側で支えている。この晩年の成熟は昭和二十二年刊の『人間の歌』『雪国にて』の中 に見ることが川来る。
堀口大学 雪
雪はふる 雪はふる
見よかし、天の祭なり
空なる神の殿堂に
冬の祭ぞ酣タケナワなる。
たえまなく雪はふる
をどれかし、鶫等ツグミチよ
うたへかし、鵯ヒヨドリ等
ふる雪の自さの中にて
いと聖キヨく雪はふる
沈黙の中に散る花弁
雪はしとやかに
踊りつつ地上に来る。
雪はふる 雪はふる
白き翼の聖天使
われ等が庭に身のまはりに
ささやき歌ひ雪はふる
ふり来るは恵みのパンなり
小さく白き雪の足
地上にも屋根の上にも
いと白く雪はふる。
冬の花弁の雪はふる
地上の子等の祭なり
堀口大学 母の声
母は四つの僕を残して世を去つた。
若く美しい母だつたさうです。
母よ僕は尋ねる、
耳の奥に残るあなたの声を、
あなたが世に在られた最後の日、
幼い僕を呼ばれたであらうその最後の声を。
三半規管よ、
耳の奥に住む巻貝よ、
母のいまはの、その声を返へせ。
堀口大学 魂よ
魂よ、
お前は扇なのだから、
そして夏はもう過ぎたのだから、
片隅のお前の席へ戻つておいで、
邪魔になつてはいけないのだから.
魂よ、
お前は扇なのだから、
そして夏はもう過ぎたのだから、
もう一度自分に用があらうなぞと
思ってはいけないのだから、
たとへ夏はまた戻つて来ても
来年には
来年の流行があるのだから。
魂よ、
お前は扇なのだから
お前は羽搏きはするが
翔ぶことは出来ないのだから、
似てはゐても
お前は翼ではないのだから。
いま、時は、秋なのだから
そして冬も近いのだから、
邪魔になつてはいけないのだから
お前は小さくなつて
片隅のお前の位置アリカで
松吹く風の声と
岸打つ波のひびきに
わななきながら
聴きいつてゐるがよいのだ。
魂よ、
お前は、
お前は
扇なのだから。
(戦ひの日、興津にて)