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素堂、45才。芭蕉庵四山瓢名(五言絶句)。貞享3年(1686)
四山瓢名(五言絶句)。貞享3年(1686)素堂、45才。 一瓢垂岱山。自笑称箕山。勿慣首陽山。這中飯顆山。一瓢は岱山より重く、白から笑ふて箕山と称し、首陽山に慣れること勿かれ、...
View Article▼寛文時代初期の松尾芭蕉の動向
▼松尾芭蕉の動向芭蕉は承応二年(一六五三)頃、つまり十才になった頃に、藤堂新七郎家の嗣子、藤堂主計良忠に小子姓として仕えたという。出仕の時期については異説もある。上野には城代の采女(うねめ)家に次いで、侍大将として藤堂玄蕃、新七郎の両家があり、ともに代々五千石の大身である。その一つの新七郎家の嗣子良忠は、寛永十九年(一六四二)の生れだから、芭蕉より二つ年長になる(素堂と同じ)。だから芭蕉が約十才の頃...
View Article参考資料 北村季吟の墓(『日本随筆集』)
参考資料 北村季吟の墓(『日本随筆集』) 北村季吟の墓は、池の端茅町正慶寺にあり。昔年ゆきてみし事あり。その墓に、花もみつほととぎすをもまちいでつこの世後の世おもふこよなき 宝永二年六月十五日 八十二歳卒...
View Article▽素堂▼芭蕉消息 北村季吟合點懐紙
▽素堂▼芭蕉消息 北村季吟合點懐紙 延宝年間 北村季吟合點懐紙 延宝年中作 『芭蕉一代集』勝峯晋風氏著 昭和六年刊。 中村貫一氏が所蔵する古い懐紙切れで終わりに「右季吟合點懐帋附随斎、文化甲子秋贈松窓乙二」と見える。季吟の批點に桃青の附句のあるものはこれが初見である。 長刀さすかよせいなおとり場 信徳露にやおちん髭の黥(スミヌリ)聟に祝ひかけにまかせて桶の水...
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