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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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美豆御牧(山城の牧)甲斐の歌ではない

美豆御牧(山城の牧)甲斐の歌ではない ○ みつのみまき(美豆の御牧)     まこもかるみつの御牧の駒の足 早く楽しき世をもみる哉 『兼盛集』類従群集。巻第二百五十  兼盛-平氏。生、未詳~没、正暦元年(990) ○ 隔河戀    山城の美豆の里に妹を置ていく たひ淀の船よはふらむ  『頼政卿集』戀 類従群集。巻第二百四十六    頼政-生、長治元年(1104)~没、治承四年(1180) ○...

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注…真衣郷の歌 (『甲斐国志』巻之四十八 古蹟部第十一)

注…真衣郷の歌 (『甲斐国志』巻之四十八 古蹟部第十一)   和歌に御真衣野原と詠みたるは是なり ● みまきのはら(夫木集未考 御牧原か或云甲斐) よみ人しらす   名に高き木曾のかけはし引わたし み牧の原やこひしかるらん ● まきの里(夫木集に云山城)よみ人しらす   布さらすまきの里ともみゆるかな 卯の花さけるかきねかきは    梁塵秘抄(三六一)   甲斐の国より罷り出でて...

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武田家 歌詠み

武田家 歌詠み ○ 天文四年六月(1535)   今月五日従 甲州敵出張。廿七日に諸勢出陣。八月十九日に万澤口にて合戦。 同廿日に従 相州氏綱兄弟父子、何かに一万計にて出陣。同廿三日に相働。 都留郡主小山田衆。合戦終日侍りて未刻散。小山田衆討捨七八百。三百六七十討捕。 軈而廿三日に小田原へ帰陣。小田原衆手負二三百。討死衆は二人。河村與太夫子也 ○ 天文五年正月十三日於 本城...

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馬の歴史 ○応神15年(284)~朱鳥1年(686)

○応神15年(284)8月6日【日本書紀】《馬の輸入》 …百済王、阿直伎を遣わし、良馬二匹を貢上。百済の国主照古王、牡馬壱疋、牝馬壱疋を阿知吉師につけて貢上れる人、云々。 ○履中5年(404)9月18日【日本書紀】《飼部》 …天皇は淡路島に狩猟をなさった。この日、河内の飼部(うまかい)等が天皇に従って、轡につける手綱を執った。  ○允恭2年(413)2月14日【日本書紀】《乗馬》...

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馬牧の図示 果たして甲斐の御牧は何処

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石川五右衛門 釜茹での図

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武田信玄 家臣団の住居 馬場美濃守信房の住居

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◎天平3年(731)甲斐国から神馬が献上される

◎天平3年(731)12月21日【続日本記】◆甲斐国守…田辺広足。在任。...

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甲斐国、請願により渡来人山梨郡の人を改姓

○延暦 8年( 789) 6月 9日 《改姓》      【続日本記】…甲斐国、請願により渡来人山梨郡の人、要部上麻呂・古爾鞠部・解礼らの本姓を田井・玉井・大井・中井に改姓する。

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○延暦21年  《諸牧(甲斐)課欠駒》 

○延暦21年( 802) 8月14日 《諸牧課欠駒》   【日本記略】 …諸牧の課欠については、必ず担当者を処罰し、馬を弁償させることを、甲斐など諸国に命じる。 ○延暦22年( 803) 3月 9日 《諸牧課欠駒》   【日本記略】 …諸牧の課欠の駒については、馬の徴収をやめ、かわりに駒一頭ごとに代価の稲四百束を徴収する事が、甲斐などの諸国に命じられる。

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「奈良~江戸期に起きた富士山噴火」

「奈良~江戸期に起きた富士山噴火」 山梨県文化財保護審議委員 小川考徳氏発表(山日2001、3、10)抜粋。 …小川さんによると、古文書に記載、確実に噴火があったとされる富士山噴火は、奈良時代から江戸時代にかけて計九回。このうち八六四(貞観六年)一七0七(宝永四年)の二つは既に噴火地点が判明していたが、平安期に起きた残りの噴火七回についてはよく分かっていなかった。...

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駒と甲斐年表 (700~803)

駒と甲斐年表 (700~803) ☆持統天皇、在位(690~697) ☆文武天皇、在位(697~707) ○文武 4年( 700) 3月17日           【続日本記】 …即位四年三月、令諸国定牧地放牛馬。 諸国に命じて牧馬の地を定め。牛馬を放牧させた。 ○大宝 1年( 701) 4月 8日           【続日本記】 …大宝令、二十三 厩牧令発布(詳細別述)。 ○大宝1年(...

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武川衆下之郷起請文(長野県上田市 生島足島神社)

武川衆下之郷起請文(長野県上田市 生島足島神社) 永禄10年 丁卯(1567)8月7日  六河衆(武川衆)の馬場信盈らが六郎次郎(武田信豊)を介し、武田信玄に起請文を捧げる。 〔懸紙〕 (ゥハ書) 「 青木 山寺 柳沢 六河衆 丁卯 八月七日 六郎次郎殿」  (武田信豊) 馬場小太郎信盈   (花押) (血判有り) 青木与兵衛尉信秀  (花押) (血判有り) 山寺源三昌吉    (花押)...

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甲斐国天保騒動

甲斐国天保騒動 甲斐国民奮起す  甲州街道犬目宿  清七らが伊豆韮山の江川代官屋敷へ送られていってからまもない八月下旬のある日、清七は代官所の屋敷内が異様にあわただしいのに気づいた。  見まわりの下役人たちの会話から、甲斐で一揆が起こったらしいということがわかった。そのとき清七は、遠く隔たっている甲州の一揆のことで、どうして江川の屋敷があわただしいのか、その理由をおよそ想像することができた。...

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交通の整備と明治天皇御巡幸 白州町台ケ原を中心に

交通の整備と明治天皇御巡幸...

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真衣野牧考察

真衣野牧   甲斐の駒や御牧と北巨摩地域との関連はみえない。武川村の牧ノ原(牧野原)と真衣野の語句類似と真衣郷(比定地不明)結びつけてあたかも古代御牧の一つが現在の武川村牧ノ原に所在したと言う定説は疑問。牧ノ原の地名は古代ではなく中世以降の可能性もあり、真衣郷を武川村周辺に比定しているがこれさえ何等根拠のあるものではない。こうした説は『国志』から始まる。それは...

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甲斐上代国政関係者一覧 『甲斐国志』「姓氏部」

甲斐上代国政関係者一覧 『甲斐国志』「姓氏部」 ◇ 甲斐前司家国(宗国)  建長、正嘉の引付番の内に見ゆ。初甲斐国に任ずる人なるべし。姓氏を知らず。    建長(1249~1256) 正嘉(1257~1259)『東艦』 ◇ 甲斐守為時(為成)  同書正元、弘長中の記に見えたり。又姓氏不詳。 正元(1259~1260)弘長(1261~1264)『東艦』 ◇ 甲斐次郎左衛門尉 ◇ 甲斐三郎左衛門尉為成...

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 甲斐の御牧の概要 安易な定説化は歴史を混乱させる

 甲斐の御牧の概要  平安時代頃(或いはそれ以前より)に甲斐の国巨摩地方に在ったとされる天皇の勅旨牧(御牧)は今その面影を忍ぶものは歴史書物以外には何も残っていない。...

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各地に残る馬場美濃守の法名

各地に残る馬場美濃守の法名  山梨県北巨摩郡白州町白須自元寺位牌 甲斐国志  乾叟自元居士 家臣原四郎承遺言携遺物遺骨等来於白須村自元寺法事相勤御墓石塔立来 各地に残る馬場美濃守の法名 甲府市平瀬太寧寺 (火災に遇い現在は『過去帳』『寺記』などは無い) 乾叟自元大居士  追諡 …『甲斐寺記・神社記』 各地に残る馬場美濃守の法名 長野県上水内郡信州新町興禅寺位牌   愛知県南設楽郡鳳来町医王寺位牌...

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馬場美濃守のこと『村乃あゆみ』   白須氏屋敷跡の間違い

馬場美濃守のこと『村乃あゆみ』    名所旧跡の項  馬場氏の居跡...

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