武田家 歌詠み
○ 天文四年六月(1535)
今月五日従 甲州敵出張。廿七日に諸勢出陣。八月十九日に万澤口にて合戦。
同廿日に従 相州氏綱兄弟父子、何かに一万計にて出陣。同廿三日に相働。
都留郡主小山田衆。合戦終日侍りて未刻散。小山田衆討捨七八百。三百六七十討捕。
軈而廿三日に小田原へ帰陣。小田原衆手負二三百。討死衆は二人。河村與太夫子也
○ 天文五年正月十三日於 本城 彦九郎為昌興行當座(1536)
浦 霞
釣たるゝをのかすさひはことたらて 霞の網にかゝる浦舟
○ 天文七年八月武田信虎亭にて 同名大井宗藝初て参會(1538)
之時信虎歌よみて 宗藝へ可遣之由申されける時當
座に彼宗藝歌道執心之法師にて侍る間かくなん
いまよりや契置なんしるや君 世々のねさしの和歌の浦松
○ 天文十一年二月十三日於 高雲齋 ( )(1542)
晴信月次會
花 風
みよしのやその暁の花の香も 金の御嶽にひくゝ山かせ
晴信同名民部少輔入道恰雲齋道鑑亭にて
庭梅各見はへるについてに
○三月九日於 高白齋當座
○初 花
とふ人の心や見んとけふまてに 花はまたれてさらに聞らん
○八月十五日於 板垣信方亭會に
○月前聞鴈
音に立て月もこよひの最中そと 南にかへる鴈
○同當座十五夜當日
月も今夜なたゝ秋に有耶無耶の 心にさはる雲霧もなし
○天文十三年((1544))二月三日
甲州へ越とて今河へ暇申とて富樫民部大輔かたへ紅梅の枝につけてかく申遣
世はかくそ花も折しる姿見よ 匂ひふかめてゆるし色なる
○ 天文四年六月(1535)
今月五日従 甲州敵出張。廿七日に諸勢出陣。八月十九日に万澤口にて合戦。
同廿日に従 相州氏綱兄弟父子、何かに一万計にて出陣。同廿三日に相働。
都留郡主小山田衆。合戦終日侍りて未刻散。小山田衆討捨七八百。三百六七十討捕。
軈而廿三日に小田原へ帰陣。小田原衆手負二三百。討死衆は二人。河村與太夫子也
○ 天文五年正月十三日於 本城 彦九郎為昌興行當座(1536)
浦 霞
釣たるゝをのかすさひはことたらて 霞の網にかゝる浦舟
○ 天文七年八月武田信虎亭にて 同名大井宗藝初て参會(1538)
之時信虎歌よみて 宗藝へ可遣之由申されける時當
座に彼宗藝歌道執心之法師にて侍る間かくなん
いまよりや契置なんしるや君 世々のねさしの和歌の浦松
○ 天文十一年二月十三日於 高雲齋 ( )(1542)
晴信月次會
花 風
みよしのやその暁の花の香も 金の御嶽にひくゝ山かせ
晴信同名民部少輔入道恰雲齋道鑑亭にて
庭梅各見はへるについてに
○三月九日於 高白齋當座
○初 花
とふ人の心や見んとけふまてに 花はまたれてさらに聞らん
○八月十五日於 板垣信方亭會に
○月前聞鴈
音に立て月もこよひの最中そと 南にかへる鴈
○同當座十五夜當日
月も今夜なたゝ秋に有耶無耶の 心にさはる雲霧もなし
○天文十三年((1544))二月三日
甲州へ越とて今河へ暇申とて富樫民部大輔かたへ紅梅の枝につけてかく申遣
世はかくそ花も折しる姿見よ 匂ひふかめてゆるし色なる