柳沢吉保の覚え書き
柳沢吉保のお父さん柳沢吉保のおじいさん柳沢吉保公儒臣荻生徂徠 峡中紀行(甲府~韮崎)峡中紀行(一行、武川に入る)峡中紀行(柳沢村)峡中紀行(餓鬼ののど1)峡中紀行(餓鬼のノド2)峡中紀行(柳沢~甲府)(2)甲斐をたずねる。吉保の儒者荻生徂徠他が武川の地へ...甲斐をたずねる。吉保の儒者荻生徂徠他が吉保のお祖先へ..甲斐をたずねる。吉保の儒者荻生徂徠他が吉保のお祖.先へ..ワンちゃん ワンだふる...
View Article武川衆の謎
武川衆の謎武川衆下之郷起請文(長野県上田市 生島足島神社)永禄10年 丁卯(1567)8月7日 六河衆(武川衆)の馬場信盈らが六郎次郎(武田信豊)を介し、武田信玄に起請文を捧げる。〔懸紙〕(ゥハ書)「 青木 山寺 柳沢 六河衆丁卯 八月七日六郎次郎殿」(武田信豊)馬場小太郎信盈 (花押) (血判有り)青木与兵衛尉信秀(花押) (血判有り)山寺源三昌吉 (花押)宮脇清三種友 (花押)...
View Article解明されていない 甲斐の勅使牧(御牧)
甲斐の勅使牧(御牧) 甲斐、信濃、武蔵、上野に設けられた御牧は朝廷直轄の勅使牧である。延喜式によると牧には勅旨牧の他に近都牧、諸国牛馬牧の三種に区別され、勅旨牧は近都牧と同様左右馬寮の所管である。 『延喜式』…醍醐天皇の勅を受けた藤原時平(時平死後弟忠平が任を得る、紀長谷雄、三浦清行らが延喜5年(905)年に着手して32年後の延長5年(927)に完成して康保四年(967)に施行となる...
View Article柳田國男氏による山梨県の馬に関する話
山梨県の馬に関する参考資料 柳田國男氏著より引用 祭ノ慎……甲州にては東山梨郡松里村大字松里上井尻組の諏訪明神は例祭旧暦の七月なり。七月一日の日より始めて此の日まで氏子の物忌最も厳重なり。其の間は声高、普請及び縄目を結ぶことを戒め、又祭の日には葦毛の馬を牽き出すことを禁ず。 祭ノ慎……東八代郡富士見村小石和組の諏訪明神も葦毛の馬を忌みたまう。里人之 を飼うことあれば神必ず之を隠す。...
View Article甲斐駒ヶ岳開山 関連資料
甲斐駒ヶ岳開山 関連資料甲斐駒ヶ岳開山関連記事甲斐駒ヶ岳開山関連記事 横手と白須・台ケ原村入会訴訟... 甲斐駒ヶ岳開山 山岳信仰・修験の発生 甲斐駒ヶ岳... 甲斐駒ヶ岳開山関連記事 唄う坂(白州町横手尾白川)を巡る訴訟... •富士山信仰 長谷川角行開山&伝説 怪談○荏草(江草・えぐさ)孫右衛門茅ケ岳開山と伝説 〇金ケ嶽の薪左衛門甲斐駒ヶ岳開山 当時の修験 台ケ原知見寺 その勢力......
View Article武川村(北杜市武川町)の集落 武川村誌
武川村の集落武川村の行政区は北杜市に属し一市三町(北杜市)と隣接している。北東は釜無川によって長坂町、須玉町、南西は鳳凰山を境に芦安村、東南は小武川を境に韮崎市、北西は大武川、尾白川をもって、白州町と接している。 武川村の大字は牧原・三次・山高・黒沢・新奥・宮脇・柳沢の七つに区分される。小字名称は次のとおりである◇牧原(まきのはら)...
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