鰻を喰うと目が潰れる 北杜市武川町山高 口碑・伝説
『武川村誌』一部加筆
山高の幸燈宮の祭神、稚日要命(わかひるめのみこと)は、女ながらも武勇並びなき軍神で、ある時騎馬で出陣し、ある沼辺で敵の大将と組討ちになり、沼の中へ落ちてしまった。沼は泥が深くて、どうにもならなかった。すると泥の中から何にか命を押し上げるものがあるではないか、命は、これに力を得て有利な態勢になり敵将を倒すことができた。この為からくも戦に勝つことができた。その命を下からおしあげてくれたものは実は直径二〇センチもある大鰻であった。
こうして氏神が鰻に助けられたので、氏子である山高の村人は鰻を喰うと神罰があたって目が潰れるといって、誰一人鰻を喰う者がなく、捕えた鰻は全部、幸燈神社前の池に放したという。
『甲斐国志』(唐土明神の項)にも祭礼には、鰻の餌である、どじょうをあげ村人は鰻を食べないということが載っている。
「祭礼ハ九月中ノ九日、前夜初更ヨリ庭燎ヲ焼キ四更ニ至リテ供物ヲ献ズ、其ノ内ニ泥鰌汁アリ一社ノ旧例ナリ、又村人古ヨリ鰻ヲ食ハズトナン。」初更午後十時、四更午前二時
今から百何十年の昔、この山高に源三郎という村一番の強情者がいた。この源三郎が三吹に奉公しているとき、川干をした際に沢山の雑魚をとった。その中にも鰻が数匹まじっていた。そしてその雑魚で一杯やるのが例であった。
仲間の者たちは源三郎の強情を知って、面白半分に「源三郎何ぼう強の者でも、山高生れの悲しさに、このうまい鰻は喰えんなァ。源三郎は、あとの「かす」みたような雑魚だけ喰っていりや、いいや」、また一人は「目が潰れちゃ困るから、その鰻はこっちのもんだ」また「どうせ山高の源三郎はまずいもんで我慢しろやい、うまいのはこっちの係だ」と口々に言うので源三郎も酒が段々まわると口惜しくなって「俺だってうまいものを喰ったって悪いことあねえや、鰻を喰ったって目が潰れるもんか」と本気になって、ほんとうに喰う気になっ
た。しかし腹の中では、いい気拝もしない。するとまた他の一人は「ほら、なんぼう強気の源三郎でもやっぱり目が潰れるのは、おっかねえや」という。
源三郎は、「はうれ、みんなよく見ていろ」と言いつつ箸を手に取ったかと思うと、前手にあった鰻の切を、ついに口に入れてしまった。
「な、目が潰れんら(でしょう)」と男の意気高々にその夜は引き揚げて行った。
二、三日たつと源三郎の目は、霞がかかったように段々見えなくなった。そして今日よりは明日、明日よりは明後日というように悪くなってとうとう見えなくなってしまった。
源三郎はいよいようろたえた。そしてこれは、まさしく氏神さんの祟りがあったのだ。このうえは幸燈神社に行って、その罪をあやまり、ぜひ今一度目が見えるように祈るよりほかはないと思い熱心に祈願した。三、七、二十一日の満願の日に、ようやくおぼろ月夜程度に回復し不自由の目で暮らしたという。
その後お宮の前の池には、もっともっとたくさんの鰻が氏子によって放され、社殿には鰻の絵馬がたくさん奉納された(高齢者ふるさと学級編)