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富士山の頂上について『甲斐国志』
<富士山頂上>頂上に登り、左右を「薬師嶽」と云う。薬師の佛龕あり、別当大宮司(駿州富士郡の大宮神主)、役銭二十文(内十四文は大宮司、六文は吉田)小屋八字。四方に石を横にして壁として、一方に戸を開く。駿州須走の者ここに住して団子餅を売る。甚だ小にして、腹に満たず。およそ中合より頂上に至る。飯を炊くに、薪なく、また水なし。薪は中腹より以下深谷の内より採りて、谷々の小屋へ負擔(かつぐ)して送る、故に上るに...
View Article須田正継先生之碑 イスラム教への理解者
須田正継先生之碑 イスラム教への理解者『山梨のいしぶみ』山梨日日新聞社 昭和52年刊 須田正継先生【註】この記事は、昭和52年以前の記事。...
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