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神代桜 花咲を待つ実相寺周辺

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実相寺の神代桜にまつわる漢詩と和歌


 「山梨県名木誌」に「史伝と文学」(昭和六年)『武川村誌』


伝へ言ふ、今より一千八百十余年前、景行天皇の皇子日本武尊(やまとたける)東夷征定の帰途此の地に駐まり紀念に此の桜を手植せらるると、其の後千数百年を経て日蓮上人此の地に巡錫し適々此の木の衰弱せるを見其の樹勢回復を祈られしに不思議にも次第に繁茂し今日に至れりと。抑も此の寺は日蓮宗身延山の末寺にして開山は波木井伊豆守入道日応にして、永禄中蔦木越前守本村大津より今の地に移転せり、而して今の地は山高五郎左衛門(武田太郎信方の裔)の宅跡なりともいう、其の何れの時代に植栽されたものなるやは確知し難きも伝説は上記の通りにして老木にも似ず枝葉はよく繁り全校に着花すること若木の如く之を高僧の法力などに鰭びつけるのも左こそと思はしむるものあり。


 


 と記している。老樹なるが故に文学的にも実に多く詠じられた。


「甲州山高邑桜樹碑」がある。


この樹碑は建設されなかったので次に記しておく。いつの日かはこれが碑の実現を望むものである。


甲州山高邑の桜樹の碑


峡(甲斐)の山高邑は一条氏の城址なり。精舎有り、実相寺と曰う。昔日蓮上人峡中を遊化し、法を説かるるの処なり。南面に老桜有り、周囲七尋、蓋し千年以上の物なり。遠条の鳳翥(ほうしょ)し、蟠根の蹲(うづくま)る処なり。春時に至り花開くや、芬芳四(よ)もに聞え、之を望めば雲の如く、一大奇観なり。相伝う、後陽成帝の皇子華頂王、幸燈祠に諦居すること数年、常に帰らんと懐い、悒快(ゆうおう)を嘆いて楽しまず、但だ花時毎(つね)に樹下に来りて遥遠してこれを諷詠し、以て懐土の情を忘る。是を以て文人墨士の遊賞する者、今に至りて相踵(つ)ぐと云う。夫れ峡には勝区奇迹多し、しかも草木も常と異なる有り。桜は老い易きものなり、しかも千載無く生意尽きず、高大繁茂すること是の如し。其の盛なる山豆に土地の常に非ざるの以ならずや、抑も亦た大士擁護の如に有るものか。甘棠(かんどう)の詠、召南古柏の歌、蜀中に於けると樹の異なるに非ざるなり、其の人を思うなり。独り斯の樹の麗華なる、風韻を嚢者に慕い、芽芳を来世に伝えざるべけんや。之に係くるに銘を以てす、曰く、峡の土は秀麗にして、其の山は崎嶇たり。何ぞ彼(かの)穣(ゆたか)かなる、斯れ桜の華、千仭本擢んで、万畝陰は敷く、煒々(えいえい)たり煌々(こうこう)たり、異香衢(ちまた)に満つ、姑射(こや)雪を封じ、赤城霞を起す。維れ皇国の産、八紘所無し、祝んや復た千載をや、久しく栄えて枯れず、大士は法を説き、帝子は遊娯す、観者は賛咲し、操觚(さかずき)は踟蹰(ちちゅう)す、桜は皇国に生じ、所在に能く育つ、芳野と泊瀬と、数百千域、未だ斯の如きを開かず、寿、かつ郁々、生意これ隆きは、神の初くる所、今、逸異を著く、維れ石之れ勒(しる)す、諸を己往に観るは、伝の如く極まり罔(もう)けん。


   万延元年庚申の春 機山公十世従四位下前侍従 源信之撰


 


峡中詞藻詩賦篇(昭和三年九月廿日発行、原漢文)


  山高桜 富岡耿介(敬明)


古桜、蟠屈すること幾千年、板は九泉に到り、枝は天を蔽う、


酔うて花陰に臥し、語を聴くを悦ぶ、前身は、我も亦た秦を避くるの仙なりしか。


     小野牧荘(泉)


老樹、大いさは牛を蔵し、慈門、根抵を寄す、春風、花は一時に、僧は任す、艶雲の底。


     甲斐  桜井義令


旭影、花に当りて、雪色新なり、天、好景を将て詩人に付す、山桜の樹底、風雨無し、応に覚めん、良章佳句の春。


        竹村細香


巨幹、桜を重ね、花、花に族る、神州の名木、最も誇るに堪えたり、艶態、幾回か変るを看来れば、朝には是れ淡雲、夕には是れ霞。


         加藤鉄現(楙)


 岡を過ぎ、寺に入れば、限、先ず明かなり、欄煙たる千枝、縦また横、独り怪しむ、風流使人の記の、曽て一句の清評を費やす無きを。


         荒木花渓


百尺の峰朕、半空に聾ゆ、暗雲、暖雪、春風に映ず、蟠根動かず、千年古り、傾け圧す、江湖、万紫紅。


 餓鬼嗌(のど)  物 茂卿(荻生徂徠)


陋俗、浸りに伝う、餓鬼嗌を、元来、天女の琵琶台ならん


渓声、長広舌は猶在り、誰か識る、妙音は是れ弁才なるを。


         田 雪翁(田中省吾)


当時の喪乱、情を傷ましむ可し、餓鬼の嗌中に、弁櫻を蔵す、


尺蠖(かく)、屈し来りて、自在に伸ぶ、石床、咫尺、雄城を作す。


  観花磯 (柳沢村の西北方に在り)荻生徂徠(茂卿)


行くゆく峡口を過ぐれば、馬、飛ぶが如し、首を回らせは桃源、翠徴を隔つ、


 黄髪、垂髫(ちょう)今も尚在り、依稀(さもにたり)、指さして観花磯を説くに。


 使君田(字を町尻という、兵部丞の後、弥太郎と称する人の開きし田なりとぞ)


 【註】 柳子沢吉保の祖父信俊の住居             


 


一片の石田、我が公を詰んず、雨時、歳々、流風を憶う、


当時、応に九推の地たるべし、厭わず、人の田舎翁と呼ぶを。


  桜三首     石原常山 (守政)


幽寺の一株、高きこと二ならず、年を経る幾万、更るがわる相驚く、誰か知る、実相、真如の月、独り桜花に向かえば、枝頭清し。


 


日本に王と称す、走れ此の時、大鵬、万里、垂天の枝、


若し怒翼の、南海を図らんと期さば、桃李、梅花、之れに北面せん。


 


雪の如きの山桜、三月寒し、白雪、燦欄、天に徹して寛し、


春風、若し花を吹き散らす有らは、州里、一纏の玉盤と為らん。


 山高神代桜   甲斐 桜井義令(白州町横手)


古寺のものときゝしを来て見れば さとの家居も花の下がげ        甲斐 清水謙光


咲きにほふ千もとの花を一本に 集めて見する心地こそすれ        甲斐 八代駒雄


七ひろにあまる桜は七国を たつねてもまたあらしとそ思う       甲斐  小野 泉(明野)


山高のひともと桜咲きぬれば よそには春のあらしとそ思う       甲斐 輿石守郷(長坂~甲府)


名にたてるひともと桜さきぬめり 霞いろつく山たかのさと       甲斐 高見沢胤親


いく千代も人や見つらん雲井まて 匂ふか甲斐の山高のはな       甲斐 八巻直哉


千代経ても花の色香はいやまして 老木の名さへ山高のはな       甲斐 歌田正賢(韮崎)


しつ枝よりほつ枝もなへて桜木に 日かけまほゆき山高の里       甲斐 三枝雲岱(高根)


大津山大木の桜ひともとほ 千もとにまして世ににはふなり       会津 村上 博


やまたかの老木の桜咲きにけり ふもとの里も香に霞むまて          深江遠鷹


山たかの大木のさくら幾千代か 経にけん色の奥そゆかしき       甲斐 穂坂 郎


山高の一本さくら咲きにけり ここにのみふる雪と見るまで


          落合直言


里の名の山よりもげに世に高く 聞えて立てり花のひともと          塚川豊一


たくひなき大樹の花をあふき見て そらにうかるゝ我心かな明治時代の和歌


 明治期に至って本村で本格的に和歌を志した老はなく俳句の道にいそしむ子弟たちの中に、俳句の余技として和歌もたしなむ者がいたという程度である。


 この時代には、県下各地の俳匠や文芸愛好家の中には、独自で作品を募集して刊行する風潮が高まり、内容は俳句を主としながら、その中に漢詩や短歌を掲載するなど幅広くいくつかの文芸集を見ることができる様になった。


「大桜集」


 明治十五年(一八八二)塚原幾秋(白州町下教来石)の発行したものである。


この中に武藤保道の和歌と米倉瞭、野本馨、小沢又市の漢詩が掲載されている。


 武藤保道


 珍らしき人母(ひとも)とひけり米都(めづ)らしく もとえににおふ山さくらかな 山高桜  米倉瞭春央に、習々たる谷風歛まる、正に桜花の、半ば綻ぶるの時、樹下の徜徉、看れども飽かず、僧に請い、折り取らん、両三枝。


 野本馨


  峡中、太だ愛す七尋の桜、万来の淡紅、限を照らして明かなり、  酔後、強めて枝上に登り酌めば、翩翩たる花弁、杯に入りて清し。


 小沢又市


  数朶の紅雲、寄、また麗、妖姿、婿態、春睴を弄ぶ、


  今春も亦復た、人を雇うて閲す、旧に依り盤根、七拱して囲む。


「ももよぐさ」


 明治二十八年末三月(1895)発行、編輯者兼画工上野一雲、編輯人内藤帰山には本村実相寺住職 永田春蔭(四十二)が見られる。


  たちよりて見てこそゆかめふるさとの 賤がふせやの夕かおの花 永田春蔭


 「百花園」


 明治三十一年(一八九八)甲府の佐野適正が編集発行したもので前輯上下・後輯上下からなり、書画、俳語、和歌、漢詩を集録している。本村関係者が次のとおり記されている。 駒城村 (柳沢)野本央   寄桜恋


 八重桜ほのかに夫れと見てしより 恋てふ文字に胸焦がしけり   


我か恋は富士の高嶺の雪なれや 積り積りて消ゆるときなき   賀出産


たつも釆ていつれなかしと比ふらん 千代をしめたる松の緑子   賀結婚


あひおいに妹背の中を祝ふても 千代よふ声の高砂の山 武里村 長坂勘三郎


   祝百花園  在大石村祝ふべき花はそのふに咲きにけり 千代寓よもあせぬ色にて百人か千々にこゝろをくたきつ植えし園生の花はかくれし


花さけばちるとふことのあるものを 遂にちらざる花ぞうれしき園の中にいろ香ゆかしくさき出し花ほ千歳の友にそありける 横手 桜井義令   田家蛙


わか門の苗代小田に月さして 蛙なくよのおもしろきかな   立春風


冬かれの柳の木末ゆらくなり ほれわたるあきの春の初風 新富村 武藤孫右衛門保道   三吹八景の内萬休禅院の、一孤松、枝葉童々として、臥竜と侶(ただ)う、遥かに見る、遠山、晴雪の色、誰か知る、此の景、夕易鐘なるを   終日見花


菅のねの長き春日のくるゝまで なかめくらしつ花の下かげ   野郭公かくはかりあたしはつ音を郭公聞く人もなき野辺に啼く哉筆はじめ心のまゝの走りがき 鈴木富書


夏菊や月にしてから客の来る(駒廼家碧残)  月の出て外に望のなき夜かな  〃宿まではまだ道遠き吹雪かな  〃枝うつりして鴛の高音かな   〃のぼる舟下だる仏伐や夏の月  〃明け残る月かげ寒し帰り花   〃雪の竹そっと起しぬ朝日和    教職を辞するに臨み、作有り 武里村 米倉瞭富海、淘淘、忙に耐えず、豊に浮利と浮名とを求めんや、


応に期すべし、五十年余の楽しみ、林月、渓風と、半生を送らん。


   売花翁


  紅々、白々、また黄々、輸(オク)り得たり、春風、馥郁の香、


羨むに堪う、花翁、心の淡薄なるを、晴を追い、尽日、春郷を走る。


   余、契未の秋、岩崎子と同に、長官の命を奉じて山林を巡検し、


   路地鶴瀬村に過ぎる、村に一鶴無し、唯だ乱鶉の翔翔するを見るのみ。


  慨然として一作有り、 武里村  粟園 米倉瞭秋雨斜々として、密きこと麻に似たり、銀の如き日水、銀沙を灑(そそ)ぐ、星移り、物換わり、幾千歳、仙禽を見ずして、乱鴉(からす)を見る。


 閏怨   駒城村(柳沢) 野本央


  別れて後、音書、猶お未だ通ぜず、憂心また復た秋風に値う、空閏、遥かに憶う、漁陽の路、一夜、分明、夢中に入る。


   美人の草芽を摘むを見て、戯れに作る  


  松木、披く辺(ほとり)、草芽を摘む、細腰の美人、花よりも艶なり、画工、写し難し、其の眉目、為めに惜しむ、西山、白日斜めなるを。


   月夜、湖に泛(うか)ぶ瀲灔たる江湖、舟を弄ぶに好し、杯を挙げを鼓ち、憂無きを得たり、雲晴れ、千嶺、青天に聾ゆ、雨歇(や)み、一輪、碧浪に浮かぶ。


   又、風静かに、眠らんと欲す、沙上の鳥、潮平かにして、頻りに没す、水中の鴎、遥かに思う、赤壁の山下に於ける、七月の既望、蘇子の遊。


   苦熱


毒熱、煌々たり、六月の天、幾人か暑を衝いて、塵烟を起こす。


  炎威、坐すに似たり、紅炉の上、若し薫風を得ば、値、万銭ならん。


  駒城帰省の途上  駒峰 中山正俊


  草間、近事、定めて何如、十里、侯安、寓居を出づ、


  凰は紅楓を散らして、短帽を侵し、霜余の衰草、征袪(キョ そで)を払う。


  


眸を遮るの林影、心襟潤し、耳に慣るるの渓声、意気舒(しず)かなり。


  落日、蜂頭、高さ幾尺ぞ、山村、馬に鞭うって門閭に入る。


【註】中山正俊は、甲府愛宕町から実家(横手中山家)に帰る途中、各家塾で講師をしていた。


 


桜井義令と中山正俊

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