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信虎、信玄随伴『高白齊日記』2

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○天文十七戊申年(1548
^正月小戊司。
正月十七日甲午、畑一反元松(未詳)より鶏菴(未詳)へ。高白より畠一反鶏菴へ寄進す。畠一反仏殿へ是は元松より。
正月十八日乙未、御具足召し初まる。信州本意に於いては相当の地、宛行わる可くの由御朱印下され候。
二月大丁未巳刻、坂木(現坂城町・村上義清の居城)に向かう。雪深くつもり候間、大門峠より御出馬。細雨、夕方みぞれ。
二月二日戊申、小山田出羽守(信有)出陣。
二月十四日庚申、板駿(板垣駿河守信方)・甘備(甘利備前守虎泰)其外討死す。
二月十五日未刻申し来る。
二月十七日癸亥、甘利藤三(虎泰の子)を呼び、兵始めて仕り始む。申刻、並門を出て東方に向かう。
二月十九日、相模(今井相模守信甫)と高白談合致し御北様(信玄生母・大井氏)へ申し上げる。野村筑前守・春降出雲守両人御陣所へ参り、御帰陣の御意申し上げる。
三月小丁丑。五日、諏訪の上原まで御馬納められる。
三月十四庚刁、始めて甘利藤三出陣す。
三月二十六日壬刁未刻、府中へ御馬納めらる。
三月二十七日癸卯、諏訪神三郎方へ山の内分下され候。高白所により人越し侯得共上意。
四月小丙午。
四月三日戊申午刻、諏訪頼継出府。台ケ原(現白州町)泊り。
四月四日、頼継宝鈴。
四月五日、頼継高遠へ帰城す。
四月二十二日五月節。
四月二十五日敵内山宿城に動く、過半火を放つ。
五月大乙亥。
五月十七日幸卯、信州布引きの城鍬立。
六月小朔日乙巳。
六月四日戊申、今より以後、府中地下人田畠新屋敷、立てなされ問敷の由之、印形小道之問の北の方に押しなされる。
六月二十四日節。幸未御門出。
七月大朔日甲戌。
七月四日丁丑巳刻、平次郎(未詳)在家並びに八代の内、境分一貫之地留之所譲り状出し候。
七月十一日甲申、諏訪之西方衆相替之由候間、申刻御馬出らる。跡部越中守田屋御陣所。
七月十三日、麗馬進上申候。
七月十八日幸卯、大井の森より御馬進められる。翌十九日卯刻、塩尻峠にたてこもり小笠原長時責め破り、数多討ち捕りなされ候。
七月二十五日、上原へ御馬納めらる。
七月二十六日節。
八月大朔日癸卯。
八月十一日癸丑。諏訪在城候由、御意之旨、始めて長坂大炊助へ高白秋着御使いのため申し届候。
八月十二日、於曾(現塩山市)下され御判形板垣弥次郎(信恵)方へ渡す。
八月十六日戊午、御目付にて所帯御印形長坂大炊助・内藤庄左ヱ門に下される。
八月十八日、御重代御太刀こくりからの作景光、永く御神前へ納めらる。
九月大一日癸酉。
九月六日戊司巳刻、諏訪より佐久郡前山に向け御馬出られる。矢戸御陣所。晴天。
九月七日、海野口御陣所。
九月八日、海野口に於いて穴山(伊豆守信友)と箕輸(藤沢頼親)と御判形申請進し候。
九月九日、宮の上御陣所。
九月十一日癸未辰刻、打ち立ち臼田(現臼田町)。大雨。前山(現佐久市)責め落す。敵数百人討ち捕りなされる。城士ニケ所自落。
九月十三日網雨。
九月二十一日癸巳、前山の城普請始まる。
九月二十二日、桜井山の御判形伴野(左衛門信豊)へ渡す。
九月二十六日戊戌夜、望月源三郎(海野氏の支流)方へ被官衆布引山へ忍損し両人討たる。
九月二十七日己亥卯刻、打ち立ち彼の新地へ御馬寄せられる。望月御陣所へ参る。
九月二十八日、上原へ御馬納められる。
十月朔日癸卯。二日甲辰酉刻、巳の方に向かい、村井の城の鍬立、高白致し候。鍬五具。
十月四日、御普請初まる。
十月二十四日丙刁、上原まで御帰陣。
十一月大。
十一月七日朝、元春(未詳)死す。
十一月二十九日小寒。
十二月大朔日壬刁。
十二月三日甲辰、来福寺の御判形、戌刻甲し請け翌日渡す。
十二月十日幸亥。
 
○天文十八己酉年(1549
正月朔日壬申。
正月八日己卯、長坂方始めて高島へ移られ候。
正月十三日甲申、山本勘助高島の鍬立。
●《註》この項は筆者が加筆したもので、原文には無い
三月大幸未。
三月二日節。
三月十四日土用。七百貫文の御朱印、望月源三郎方へ下され候。真田渡す、依田新左ヱ門請け取る。三月九日己卯、芦田四郎左ヱ門春日の城を再興。
四月小朔日幸丑。
四月二日節。
四月三日癸卯、敵動く、依って春日落城、味方勝利す。
五月小朔日庚午。
五月四日節。
五月七日丙子、徳役始めの御談合落着、相州(今井相模守信甫)・羽州(小山田出羽守信有)・勢州(今井伊勢守清冬)三人連判。
五月二十七日、望月新六同心致し、布引を出て高白海野口まで帰る。
五月二十八日着府。
五月二十九日戊戌酉刻、望月新六始めて出仕する。
六月大朔日乙亥、伴野左ヱ門方始めて出仕。
六月五日節。望月左ヱ門佐方忠信に依り望月の惣跡となさる可く之由御判下され候。
六月十七日土用。
六月二十七日乙丑滅日、大井信常(上野介)、大井の名代に戌亥の刻落着す、高白跡又、御使い致し
候。
七月小朔日己巳。
七月四日壬申申刻、御馬出される。跡部越中守田屋御陣所。
七月五日節。九日、高島に御着城。
七月十四日壬午辰刻、御人数を立てさせられ、翌十五日未刻、午方に向かい簑輸の城御鍬立。
八月小朔日戊戌。
八月五日弓刻、布引へ忍入る。
八月七日節。
八月十六日、簑輸より各帰陣す。
八月二十三日庚申午刻、高島より御出馬。上原御陣所。
八月二十六日申刻、桜井山御着城。細雨。
八月二十八日乙丑辰刻、御井立(佐久郡)に火を放つ。
九月大朔日丁卯。鷺林(佐久郡)に御陣すえられる。
九月四日、平原(小諸の東南)の宿城へ火を放つ。
九月七日、平林出仕。
九月八日節。
九月十四日庚辰、一宮出羽守(今川の家臣)坂木へ参る。鷺林より内山へ御馬納めらる。
九月十七日、終夜富白斎談合致し、一書御目に掛け候。
九月二十日丙戌、内山を御立ち海野口まで御帰り。
九月二十一日御帰府。
九月晦日丙申、穴山殿同心在り藤沢次郎参府。
十月大朔日丁酉。
十月九日節。
十月二十日丙辰、面付け並びに諸役の義に連判仕り候。
十月二十二日、和田孫五郎(大井氏の分流)参上。
霜月小朔日丁卯。神林入道高遠へ行く。
十一月九日節。
十二月大朔日丙申。
十二月七日大雪。
十二月十一日小寒。
十二月十二日丁未、板垣小次郎方へ御前を迎える。
十二月十六日幸亥、伴野左衛門太夫始めて出仕する。
十二月二十三日戊午、馬場民部少輔(のち美濃守信房)こと高白より御奏者に相定め侯とて、五十疋持
参、太刀進ぜ候。
十二月二十四日己未、下諏訪へ御輿入れられ候。
 
〇天文十九庚戌年(1550
正月朔日丙司。
正月十九日甲申、駿府へ御使者の為高白参る。岩問に泊る。伝馬十疋。
正月二十二日酉刻、駿府へ着く。
正月二十三日戊子酉刻、義元御対面。戌刻、御口上の段申し渡す。
正月二十七日“御振舞い東林(未詳)へ御脇指下され候。指刀進上、作彦四郎にて候。
正月二十九日重ねて御振舞い、御数奇屋の座に於いて御茶、御酒、御太刀下される。粟毛糟毛の馬進上。其後駿府より御使者に太刀並びに千疋下さる。御曹司様(今川氏真)より御使者三浦内匠助(今川家臣)へ御太刀、御馬下され候。晦日に甲府を立ち、駿河に帰る。
二月小朔日丙申、本須に泊り二日酉刻、帰府致し、御返事の趣披露仕り候。義元興国寺御普請に御越し候。
二月十一日節。
二月十三日戊申、水上六郎兵衛奏者、高白仕り侯得と上意の由、三郎仰せられ候。
三月大朔日己丑。
三月十三日、西殿(三条西実枝)より御状下さる。
三月二十四日、斎藤宗雄着府。
四月大朔日乙未。
四月二十一日、高島へ着く。御使いの旨仁科上野介(盛政)方に申し渡す。翌仁科道外(盛政の父)に対面致し用骵申談候。
五月小朔日己丑。
五月四日、義晴公死す。
五月十五日、茶の木畠に狐鳴く。
五月二十三日、屋形様、御曹司様台所に御出で侯時、源七と小六酔狂にて新三郎疵を蒙る。是を狐鳴き候や。
閏五月小朔日甲午、向山又七郎幕を仕立に参る。
閏五月九日、上様御呼兵。跡部越中守田屋まで出仕なされ候。
閏五月十五日戊申。
閏五月二十五日戊午辰刻、当府を出て下山に泊る。
閏五月二十七日庚申、駿府に着く。酉刻、御前様(義元夫人)へ参る。雪斎(太原和尚)に逢う。小笠原
見所なされ候由申し触れ候。
閏五月二十九日、義元へ参る。
六月大朔日癸亥、義元公に於て御振舞い。
六月二日甲子午刻、御前様御死去。申の刻朝奈名(朝比奈)備中守(今川家臣)、一ノ宮出羽守(同上)、高井兵庫助(同上)方より甲府高白宿へ申し遣わす。使者七ツ時出府、江尻に泊る。
十七日節。
六月二十九日幸卵、義元公への御返事出し侯。
七月小朔日癸巳。
七月三日乙未、御出馬若神子に御着。
七月十日、屋形様村井へ御着城。
七月十三日乙巳、孫五郎未刻始めて出陣する。酉刻に駒井(現韮崎市)へ着く。
七月十五日丁未、御備場へすぐに参る。酉の刻、イヌイの城を攻め敗り勝鬨御執行。戌刻、村井の城へ御馬納められ候。子の刻、大城(小笠原氏の一の要害)、深志、岡田、桐原、山家五ケ所の城自落。島立(現松本市・島立右近)、浅問降参す。仁科道外出仕。
七月十七日八月節。
七月十九日幸亥、深志の城酉の刻高白鍬立。庚亥に向かい鍬五具。屋形様深志へ御出。
七月二十三日、惣普請。
八月小朔日壬戌。
八月二日、春日意足、同備前守誓句。
八月三日大洪水。
八月五日丙刁、長坂出陣す。
八月十日辛未、足軽衆備えを立てる。会田岩出陣する。和田自落。
八月十七日、落山(未詳)出仕、同誓句。
八月十九日庚辰辰刻御立ち。戌亥の刻長窪へ御着陣。
八月二十四日乙酉、砥石の城(村上義清の属城)見積りに今井藤左ヱ門、安田式部少輔同心申す。辰刻に出て酉の刻に帰る。翌二十五日、砥石の城見積りに又、大井上野助(信常)、横田備中守(高松)、原美濃守(虎胤)指し越さる。長窪の陣所の上、辰巳の方に黒雲の中に赤雲立つ。西の雲先なびく気にて。八月二十七日戊子辰刻、長窪を御立ち。未刻、海野口(筑摩川西岸)向の原へ御着陣。鹿一陣の中をとおる。
八月二十八日、砥万の城際、屋降地(不詳)号に御陣すえられる。
八月二十九日庚刀午刻、屋形様敵城の際へ御見物なされ、御出て矢入れ始まる。酉刻、西の方に赤黄の雲、五尺ばかり立ちて紅ひの如くにして消える。
九月大朔日幸卯。申刻、清野(村上一族)出仕。
九月三日、砥万の城ぎわへ御陣寄せらる。
九月九日己亥、酉刻より砥石の城を攻をる。敵味方の陣所へ霧ふりかかる。未の刻晴れる。
九月十九日、?須田新左衛門誓句。
九月二十日十月節。
九月二十三日癸丑寅刻、清野方より注進。高梨(政頼)・坂木(坂木城の村上義清)和談半途に於いて対面、咋日寺尾の城へ取かけらるるの間、真田(弾正宰隆)方は助けとして越られ候。勝沼衆虎口を一騎合同心始終存じ候。
九月二十八日、雨宮(現更植市・村上の幕下)と坂木は退出仕るの由注進。子刻(二十九日)真田弾正帰陣。
九月晦日、御馬納めらる可く之御談合。
十月小幸酉。卯刻、御馬入れらる。御跡衆(殿軍)終日戦う。酉刻敵敗北。其夜望月の古地御陣所。終夜雨。
十月二日、峠(大門峠)を越えて諏訪へ御馬納めらる。酉刻、湯川(現茅野市)へ御陣所。
十月三日、上原に於いて万事を聞し召し合わせられ、方友へ御状つかわさる。
十月六日丙刀、上原を御立。
十月七日、府中へ御馬納めらる。九日より十一日まで敵岩村田(現佐久市)に動き火を放つ。
十月二十日節。
十月二十一日、義清・長時、平瀬(松本の北)へ出られるの由候間中下条まで二十三日に御馬出られ候。十一月大一日庚刀。
十一月八日丁酉義清小室(小諸市)へ移る。
十一月十三日、野沢(現佐久市)桜井山宿城に火を放つ。
十一月十四日卯癸、若神子まで御出馬。
十一月十五日、高白海野口に陣取り。
十一月十九日、帰府。
十二月大朔日庚申。
十二月七日丙刀、太郎様(武田義信)御元服。
十二月九日、大蔵太夫能仕り候。
十二月十四日癸酉、深志へ先手の為高白越す。越年。
十二月二十二日立春。
 
○天文二十幸亥年(1551
正月大朔日庚刀。深志敵地へ動き始むる。
正月二十二日節。
二月小朔日庚申、左馬介(晴信の弟)吉田御名字御祝儀御申し候。
二月十日已巳戌刻、下諏訪と穴山同心致され再来の出仕。
二月二十三日節。
三月大朔日己丑。
三月十日戊戌大井左ヱ門内山へ近日移り申す可き之由上意。安田、高白御使い致し候。
三月二十五日節。
三月二十七日乙卯、大井左ヱ門当府を出て内山へ行く。
三月二十八日申刻着城。
三月二十九日、上原伊賀守帰府。翌日出仕。
四月小朔日己未。
四月二十五日節。
四月二十九日丁亥、屋形様の御台所御柱立つ。
五月大朔日戊子。
五月二十六日節。砥眉の城真田乗取る。
六月小朔日戊午、若神子まで御出馬。栗原左衛門は桜井山へ越えて上意趣を甲し渡す。
六月十日細雨。
六月二十七日節。
七月大朔日丁亥。
七月二日戊子御出馬。
七月二十日丙午、岩尾弾正(大井弾正行真)初めて若神子まで出仕。
七月二十五日幸亥、若神子より御馬納めらる。
七月二十六日壬子、孫六(晴信の弟)御前迎えに出て駿府に着く。未刻、小田原の使者遠山方に御対
面。烏帽子落し之由聞き候。
七月二十八日節。晦日丙辰巳刻、重ねて御出馬。
八月小朔日丁巳、桜井山へ御着城。
八月九日乙丑天晴地霧。辰巳の刻より酉の刻まで。
八月二十二日己卯、御曹司様の西の御坐立ち始む。
八月二十八日甲申午刻、未の方に向い岩尾の城の鍬立七五三。同岩村の鍬立、申の刻未の方に向い七五九。栗原左ヱ門仰せ付けられ侯て相勤むる。
八月二十九日節。
九月小朔日丙戌。
九月十四日己亥岩村田の地下人普請始む。
九月二十日乙巳、大井左ヱ門内山を出て甲府へ来る。上原伊賀守重ねて内山へ移り名字替、小山田備中守と号す。
九月二十二日、屋形様内山を御立。
九月二十三日戊申御帰府。
十月大朔日乙卯節。
十月十四日、義清丹生子に動き、押落られ之由注進。
十月十五日己巳未刻出馬。
十月二十日甲戌、深志へ御着城。
十月二十二日、ほりか子(堀金)出仕す。
十月二十四日戊刁、平瀬(深志の北)を攻め敗る。敵二百四人討ち取りなされ候。終日網雨。栗原左ヱ門手において首十八討ち取る。酉の刻より大雨。
十月二十七日幸巳、小岩竹宿城に火を放つ。
十月二十八日壬午午刻、巳の方に向いて平瀬城割其の上鍬立。此後辰の刻仰せ付けられ候間、則ち栗原左ヱ門まかりこし城をわり其の上鍬立てを仕り候。
十一月小朔日乙酉。
十一月四日戊子辰の刻、駒走るを引き寄せつなぐ。
十一月十日甲午、原美濃守(虎胤)平瀬に在城仰せ付けらる。
十一月十七日庚子冬至。高島御馬納めらる。
十一月二十一日、御帰府。
十一月二十二日丙午、飯富稲蔵坂木より一番手の衆東条討ち捕る。
十二月大朔日甲刀。
十二月十一日甲子、駿府の御曹子様(今川氏真)御屋移り。
十二月二十四日丁丑子刻、中島(未詳)の代官呂泉(未詳)に申し付く。
晦日癸未。
 
○天文二十一壬子年(1552
正月朔日甲申。
正月四日、栗原左ヱ門出仕す。
正月八日幸卯未刻、亥の方に向い太郎様御具足召し初め。
正月二十三日丙午、諏紀(諏訪紀伊守頼継).諏氏高遠に於て二十五日当府へ出仕。二十七日、諏氏生害。
二月小朔日甲刀、駿府へ御使者をつかわさる。
二月二日、駿府へ着く。小林所宿、穴山殿(伊豆守信友)旅宿参る。一出(一宮出羽守)、高兵相談致し義元へ披露。
二月三日、一出より御誓句の案文請取る。翌日、飛脚を以て甲府へ進上仕り侯。
二月五日節。
二月六日己未午の刻、義元へ出仕致す。

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