武田24将 真田源太左衛門信綱
『武田二十四将抄伝』今川徳三氏著
臨時増刊60/10 歴史と旅 武田信玄総覧 昭和60年刊 一部加筆
信綱は天文六年(1537)幸隆の長子として生まれた。母は河原隆正の妹である。父と共に武田信玄に仕えた。妻は北信濃の井上氏とも、高梨政頼の妹ともいわれ、はっきりしない。
早くから父に従って転戦、永禄四年(1561)九月の川中島合戦にも父と共に出陣した。
信玄が上野に兵を入れると、信綱も参陣した。永禄十一、二年から元亀元年頃にかけて信綱は父とは離れ、対上杉の備えとして上田を守っていた。
天正二年(1574)五月、父の死によって家督を嗣いだ。真田町木原の真田館は、信綱の居館といわれている。館というより城である。
真田の家督を嗣いで一年。翌天正三年(1575)五月三十一日の長篠の合戦で、弟の兵部昌輝と共に戦死した。三十九歳。遺体は家臣の手で真田へ運ばれ、横尾の山中に葬られた。菩提寺の信綱寺の裏山である。