武田武将 浅利右馬助信種
120騎。名を信音ともいう。旗色不明。第3代当主逸見清光の子浅利冠者義成の後裔浅利虎在の子。式部少輔。一説に信玄の従弟という。天文15年侍大将になる。軍容は赤一色。永禄4年の川中島戦のとき八幡原布陣。永禄10年吉田左近助信生らとともに起請文をとりまとめて下之郷大明神(上田市 生島足神社)へ納める。初代の上州箕輪城代。永禄12年10月相模の三増峠の合戦で北条勢の鉄砲に打たれて戦死。法名泰公。名将の戦死を惜しんで地元の人々が浅利明神を造ったという。子の彦次郎は天正10年に家康に降る。浅利は豊富村の地名。