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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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武田武将 秋山伯耆守信友

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武田武将 秋山伯耆守信友

50騎。旗色は白地に丸の黒橘。秋山家は第3代当主の逸見清光の子加賀美遠光の嫡子秋山太郎光朝が始札新左衛門信任(のぶとう)を父とする信友は、一時は善右衛門尉と称する。天文15年に箒守となる。
弘治2年初代の高遠城主兼伊那郡代に就任。勝頼が高遠城へ入ると、下伊那の飯田城代へ転ずる。これは信友が鎌倉時代に信濃守として下伊賀良庄に縁が深い加賀美遠光の後裔であることを考慮しての配転か。のちに美濃岩村城主となる。
 信友は嗣子がなく、金丸虎義の3男源蔵昌詮を養子に迎えたが、昌詮が29歳で病死すると弟の7男源蔵親久(天正10年勝頼に殉死)を再び養子に迎えた。信玄の娘お松が織田信忠と婚約すると、膨大な結納品を信長・信忠に届けた。元亀3年に美濃恵那郡の岩村霧城(きりがじょう)を攻め落し、信長の叔母(城主遠山景任の未亡人)を側室とする。天正3年長篠敗戦後、信長勢に放れ、側室や相備えの座光寺民らとともに長良川の河原で逆さ磔にされたという。享年49。法名浄国。小笠原家、南部家、於曽家などは同族。秋山は南アルブス市甲西町の地名。
 

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