【淀屋 三郎右衛門】 よどや さぶろうえもん
『別冊歴史読本』江戸人物ものしり事典 伝記シリーズ 昭和54年 一部加筆
天正五年(一五七七)に生まれる。常安の二男。姓は岡本氏、名を言当(よしまさ)玄个(げんこ)庵と号し、略して个庵という。
尊父の常安は大坂開発の町人で惣年寄をつとめ、材木商を営み、幕府の御用商人であった。言当は材木の家業をひろめるとともに、天山摘町の塩・魚の商業に手をのばし、津村の葭烏を開発し、海部堀川を開き、新靭町・新天満町・海部堀町の三町をつくり、ここに雑喉場魚市場を創設した。またその所有地にある天満に青物市場を育成した。さらに大川町の店舗で米の取引をはじめ、諸大名の蔵元となり、諸藩が大坂に廻漕する蔵米の販売
を一手に引きうけた。門前に市をなす米商人のため、自費で土佐堀川に架橋したものが、後に淀屋橋とよばれるようになる。その店は盛大を極め、手代三十余人、惣家内百七十人といわれた。このように後に大坂の三大市場と称される雑喉場・天満・堂島の市場の基襟をつくった。
海道にも関係し北国米の大坂廻漕をすすめ、長崎の海外貿易にものりだし、生糸輸入のいわゆる糸割符に大坂商人を参加させるように力をつくした。
彼はまた文人であり、連歌・絵画に長じ、茶湯を好み、風流を解した。寛、冬一十年(一六四三)没。享年六十七歳。