【藤村 庸軒】ふじむら ようけん
『別冊歴史読本』江戸人物ものしり事典 伝記シリーズ 昭和54年 一部加筆
慶長十八年(一六一三)、京都の茶人久田家に生まれた。京都西洞院下立売の藤村家をつぐ。通称は十二屋源兵衛、名は政直、徹翁と号し、反古庵と称した。
藤村屋は十二屋と称する富裕な呉服商であり、伊勢の津および伊賀の上野の大名藤堂家の御用商人をつとめた。膚軒は家業のかたわら三宅亡羊、山崎闇斎について儒学をおさめ、とくに茶事にすぐれた。はじめ薮内相智・小堀遠州・金森宗和らにつき、ついで千宗旦の門に入り、宗旦四天王のひとりに数えられ、庸軒流の一派をひらいた。津の藤堂家の茶頭をつとめた。詩文にも秀で、近世前期の京都上層町衆のサロン文化を代表するひとりであった。
元禄十二年(一六九九)没。京都の金戒(こんかい)光明寺の澱看(よどみ)席、江州堅田の天然図画(てんねんづえ)亭は庸軒好みの茶室として知られる。