【角屋 七郎兵衛】すみや しちろうべえ
『別冊歴史読本』江戸人物ものしり事典 伝記シリーズ 昭和54年
一部加筆
生没年不詳。名は秀持。父は元秀で、伊勢度会郡の大湊で角屋と称して廻船業を営んでいた。
尊父の家業をうけつぎ、東海から関東方面へ海運の手をのばし、天正三年(一五七五)小田原の北条氏と浜松の徳川氏の間の軍需輸送に活動し、同十年、本能寺の変に徳川家康が畿内から逃れるさい、白子沖でこれを授けた。この功で家康からその領国の諸港での航行の自由保障・免税などの特典を認める朱印状を与えられた。家康の勢威が拡大し、やがて天下を制するに至って、角屋の内海航行の特権は全国に及び、その四百石積の船は各地
に活躍した。
晩年本拠を伊勢松坂に移し、長男忠栄が宏をついだ。三男の三郎右衛門は長崎で、孫の栄吉はアンナン貿易で活躍した。