【高島 秋帆】たかしま しゆうはん
『別冊歴史読本』江戸人物ものしり事典 伝記シリーズ 昭和54年 一部加筆
寛政十年(一七九八)、長崎に生まれる。四郎兵衛茂紀(しげのり)の三男。通称は糾之丞(ただのじょう)、後に四郎太夫、名は舜臣(きみおみ)、字は茂敦(しげよし)。秋帆はその号である。晩年に喜平と改めた。
高島家は代々長崎の町年寄をつとめる門閥家で、外国貿易を統制する長崎会所の頭取をつとめる豪家である。秋帆は家業をうけつぎ、父の影響をうけ荻野流の砲術を学び、ついで巨額の費用を按じて多くの西洋最新の銃砲を買い入れ、日夜苦心を重ねて高島流の新砲術をあみ出した。また日本ではじめての西洋式の兵制をとりいれ、天保十二年(一八四一)武蔵徳丸原でみごとな洋式砲術演練を行ない、幕府をはじめ世の識者を驚かせた。
晩年、彼の名声を危険視した鳥居耀蔵に陥られ、十一年間入牢したが、その無実の罪が明らかになった。慶応二年(一八六六)に没す。