嘉永六年(一八五三)東海大地震で小田原城倒壊
嘉永六年二月二日午前十時ごろ、東海地方に大地震があった。なかでも相州小田原で被害が大きく、小田原城の角の櫓が崩れたほど、まして町家は将棋倒しとなった。被害は陶陵郡神戸、大磯宿、大山辺、箱根および伊豆の熱海、三島、沼津のあたりまでおよんだ。
さらに同夜十二時近く火を出し、多くの家を焼き、死者三千七百八十人にのぼった。
(読みくだし)
相模国夫地震之図 さがみのくにおほぢしんのず
▲人数 三千七百八十人
▲馬 五百二十三匹
▲牛 三十五匹
▲土蔵 数しれず
それ天地不時の震動ハ陰陽混じて雷雨となる、地にあるときハ地震をなすこと神記のご加護にもこれをあさむる事かたし、頃ハ嘉永六ベつして相州小田原大久保かゞの寺様御城下万丁本丁板ばしれうし丁辺り□もの丁[□□丁□□丁御城角櫓町家とも多く損ず、東ハ田むら川辺はぎの山中御陣屋大久保長門の寺様御れうぶん陶陵郡神戸村二大いそ宿そが野中村へん金子すゞ川ミのげかすやいせ原子やす大山辺大住郡とりりう権現様この近辺十五ケ村ハ百聞またハ百五十けん二百軒村々に僅か家二軒ほど残り、せき本ハ五百軒ほど、村山で二百軒ほどこの近辺大荒れにて、上むら谷むら早川いしばし山ふたご山箱根権現さま御社内同所湖水あふれ出、賽の河原大いに崩す、ならびに同所ゆもと七ケ所悉く損す、畑宿大荒れにて、駿河の国往来三日とまる、箱根山中人馬ともに埋まりり、三日ほど掘りいださんとせしがいでず、此へんにて人馬の損し多くあり、駿州三嶋沼津水野でハの寺様御じやう下きんごう近在原よし原いハぶちかん原ゆ井興津江尻府中のまちくなどともに人家の損じかずしれず、ふじ野すそ辺り、たけ下三くりや御殿場、
これより甲州郡内上の原、猿橋、西郡市川、鰍澤、身延山御山この辺山々大に崩れ、
北ハ愛甲郡三ます川村損ず、津久井郡青のはらとうし川ねづみ坂はし本へん、よし野小はらせき野へん、又豆州ねぶ川石きれ老若男女そく死海辺真づるあじろいとうこのあたりの山々大に崩れ人馬の存亡大方ならず、熱海修善寺治湯ばとりにいたるまでことごとく崩れ、やうやく夜九ッ暗揺り止み、諸人安堵の思ひをなせり、東西二十り余南北十二三り余なり。