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織田信長軍、武田勝頼の頸、馬

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織田信長軍、武田典厩生害、下曽根忠節の事

『信長(しんちょう)公記』桑田忠親氏著 人物往来社 一部加筆
 
 御返書の趣、武田四郎勝頼、武田太郎信勝、武田典厩、小山田、長坂釣竿を初めとして、家老の者悉く討ち果たし、駿・甲・信滞りなく一篇に仰せつけられ候問、横道あるべからず候。飛脚見及び候間、申し達すべく候。其の表の事、是又存分になすべき事勿論なり。

 三月十三日

 柴田修理亮殿、佐々内蔵介殿、前田叉左衛門殿、不破彦三殿、
 三月十三日、信長公、岩村より禰羽根まで御陣を移さる。

三月十四日 勝頼父子・典厩の頸

平谷を打ち越え、越なみあひ(浪合)に御陣取り、実にて、武田四郎父子の頸、関与兵衛・桑原介六、もたせ参り、御目に懸けられ候。則ち、矢部善七郎に、仰せつけられ、飯田へ持たせ遣はさる。
十五日午の刻より雨つよく降り、其の日、飯田に御陣を懸けさせられ、四郎父子の頸、飯田に懸けおかれ、上下見物供。
十六日、御逗留。信州佐久の郡小諸に、下曽根覚雲軒楯籠り候。武田典厩、下曽根を憑み、わずか廿騎ばかりにて罷り越され候。肯申(うけこい)二の丸まで呼び入れ、無情心を替へ、とり巻き、既に家に火を懸け候。
典厩が若衆に朝比奈弥四郎とて候ひキ。今度、討死を究め、上原在陣の時、諏訪の要明寺の長老を道師に、み戒を保ち、道号をつけ候て頸に懸け、最後に切つて廻り、典厩を介錯し、追腹仕り、名誉、是非なき題目なり。典厩の憑みし姪女(めい)聟百井と申す仁、是れもー所に腹を仕り、侍分十一人生害させ、典厩の頸、御忠節として、下曾根持ち来たり、進上仕り候。則ち、長谷川与次に持たせ参る。
 三月十六日、飯田御逗留の時、典厩の首、信長公へ御目に懸けられ候。仁科五郎乗り候秘蔵の蘆毛馬(あしげうま)、武田四郎乗馬大鹿毛(おおかげ)、是れ又、進められ候ところ、大鹿毛は、三位中将信忠卿へ参らせられ、武田四郎勝頼最後にさゝれたる刀、滝川左近方より、信長公へ上申され候。使に、祇侯の稲田九蔵に御小袖下され、悉き次第なり。
 武田四郎、同太郎、武田典厩、仁科五郎四人の頸、長谷川宗仁に仰せつけられ、京都へ上せ、獄門に懸けらるべきの由候て、御上京候なり。
 三月十七日、信長公、飯田より大島を御通りなされ、飯島に至りて御陣取り。
 

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