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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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織田信長、武田四郎父子生害の事

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『信長(しんちょう)公記』桑田忠親氏著 人物往来社 一部加筆
 
 三月十一日、武田四郎父子簾中一門、こがつこの山中へ引き籠らるるの由滝川左近承り、嶮難・節所の山小へ分け入り、相尋ねられ候ところに、田子と云ふ所、平屋敷に、暫時柵を付け、居陣侯。則ち、先陣、滝川儀大夫、篠岡平右衛門に下知を申しつけ、取り巻き候ところ、遅れがたく存知せられ、誠に花を折りたる如く、さも美しき歴くの上席、子供、一々に、引き寄せく、四十余人刺し殺し、其の外、ちりぢりに罷りなり、切りて出で、討死候。
武田四郎勝頼若衆土屋右衛門尉、弓を取りて、さしつめ引きつめ、散々に矢数射尽し、能き武者余多射倒し、追腹仕り、高名比類なき働きなり。
武田太郎齢(よわい)は十六歳、さすが歴々の事なれば、容顔天麗、膚は白雪の如く、うつくしき事、余仁に勝、見る人、あつと感しっゝ、心を懸けぬはなかりけり。会者定離(えしゃじょうり)の悲しさは、老いたるを跡に残し、若きが先立つ世の習ひ、朝顔の夕べをまたぬ、唯、蜉蝣(ぶゆう)の化なる命なり。是れ又、家の名を惜しみ、おとなしくも、切りてまはり、手前の高名、名誉なり。
歴々討死相伴の衆、武田四郎勝頼、武田太郎信勝、長坂釣竿、秋山紀伊守、
小原下総守小原丹後守、跡部尾張守、同息、安部加賀守、土屋右衛門尉、りんがく長老、中にも比類なき働きなり。以上、四十一人侍分。五十人上東達女の分。三月十一日、巳の刻、各相伴、討死なり。四郎父子の頸、滝川左近かたより三位中将信忠卿へ御目に懸けられ供のところに、関可平次・桑原助六両人にもたせ、信長公へ御進め候。


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