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徳川実記 永禄七年 武田信玄

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徳川実記 永禄七年

 永祿七年十一月武田信玄御英名をしたひ。家人下條彈正して酒井左衛門尉忠次に書簡を贈り。この後は兩家慇懃を通ずべきよしをのぶ。其書の表に啐啄の二字をしるせり。人々いかなる故を詳にせず。其頃伊勢の僧江南和といへるがたまたま岡崎を過て東國に赴かむとするにより。石川日向守家成この字義をとひしかば。鳥の卵殼を破るにその時節あり。早ければ水になり遲ければ腐るといふ意なりと答へけるよし御聽に達し。すべて萬事に時を失はざるをもて肝要とす。主將たらん者は殊更此意を失ふまじと宣ひしなり。後に又柴山小兵衛正員をめし。鷹をかふにもよく夜据をなし。時節を伺ふて鳥を捉事は。昔聞し啐啄の意なりと仰られしとぞ。(武編年集成。)

 今川氏眞、當家を攻むとて信玄へしかじかせんといひ送りければ。信玄もその計略の調はざるを知て。心中にはおかしと思ひながら暫同意の體にもてなし。心安くおもはれよなどよき程に答て。さて、當家へは下條彈正を進らせそのよしつばらに告奉り。いさゝか御心なやまさるゝまでもなし。もし氏眞出馬せばかへりて、ともにうち亡しなんと申上げしかは。  
君宣ひしは信玄は酸刻の人かな。されどかくせずばはかゆくまじと仰られぬ。また氏眞が駿河を出亡せし後に信玄と御和議有て。誓紙の文に川をかぎりて兩國の分界とせむとかき定られしは。大井川の事にてありけり。しかるを入道が心中には。
 

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