甲斐史 御牧・国司等 後一条天皇 在位(1016~1036)
長和5年 1016 1月12日
真衣野牧 駒牽、解文を奏せしめ、左右馬寮に給わしむ。(前年分)。小右
長和5年 1016 4月23日
穂坂御馬 今日取らしめず、御馬を牽く。(昨年分)御堂
長和5年 1016 5月2日
穂坂御馬 駒牽、御馬を分け取らしむ。前年分。左経記
長和5年 1016 5月15日
信濃御馬 不牽御馬。御堂
長和5年 1016 8月20日
信濃御馬 申、信濃国御馬解文。(十五日分)御堂
長和5年 1016 10月19日
貢馬 常陸介平維時、貢馬二十疋、女馬二十疋。御堂
寛仁1年 1017 8月16日
信濃御馬 駒牽、信濃国勅旨諸牧御馬。左経記
寛仁1年 1017 8月17日
穂坂御馬 御馬を牽く、左馬寮解状御所に留められる。左経記
(穂坂御馬、京都に未到着の報告)
寛仁1年 1017 8月20日
◎甲斐守 甲斐前司藤原能通、云々。小右
寛仁1年 1017 8月20日
小野御馬 武蔵国小野牧の貢馬が京都に未到着の報告。左経記
寛仁1年 1017 8月23日
甲斐国勅旨牧御馬、信濃国望月の貢馬、未到着。小右
寛仁1年 1017 9月13日
穂坂御馬 甲斐国穂坂御牧、去年御馬此月牽。保任在京。御堂
寛仁1年 1017 9月14日
穂坂御馬 昨日、穂坂御馬事。小右
◎甲斐権守 源保任。
寛仁1年 1017 9月17日
献馬 藤原道長に甲斐守源保任、献馬十疋。御堂
寛仁1年 1017 9月18日
献馬 前陸奥守藤原家済献馬二疋。御堂
寛仁1年 1017 9月26日
牽進遅延 甲斐守源保任に牽進遅延の怠状提出を命ずる。御堂
穂坂御馬 甲斐国穂坂御牧去年御駒此月(十三日)牽、守、保任在京云々。左経記
寛仁1年 1017 10月7日
信濃 信濃守源朝臣道成、前摂政藤原道長に馬六匹、摂政藤原頼道に馬四匹を献じる。長野県史通史
寛仁1年 1017 12月2日
駒牽 入夜、有駒牽。
寛仁1年 1017 12月5日
交易御馬 陸奥交易御馬事。二十疋。母馬八十疋。云々。御堂・小右
寛仁1年 1017 12月6日
交易御馬 早旦見交易御馬八疋、昨日於南殿御覧云々。小右
寛仁2年 1018
この頃 新選年中行事。七日牽、甲斐国勅旨牧御馬事。
延喜式云、真衣野。柏前牧卅疋。元五十疋。十七日牽、甲斐国穂坂御馬事。延喜式云、卅疋。年来廿疋。元卅疋・栗字。
寛仁2年 1018 4月10日
寮御馬痩痩事。小右
寛仁2年 1018 4月18日
献馬 駿河守忠重、献馬二疋。御堂
寛仁2年 1018 5月14日
交易御馬 交易御馬入洛事。御馬覧事。小右
寛仁2年 1018 8月20日
信濃御馬 駒牽、信濃国勅旨諸牧御馬。小記
寛仁2年 1018 8月23日
望月御馬 信濃国望月牧御馬。樗嚢抄
寛仁2年 1018 10月5日
駒牽 今日有駒牽。日本記略
寛仁2年 1018 11月25日
秩父御馬 駒牽、武蔵国秩父牧御馬。小右
寛仁3年 1019 8月7日
真・柏御馬 駒牽、真衣野、柏前御馬。御堂
寛仁3年 1019 8月16日
信濃御馬 駒牽、信濃勅旨諸牧御馬。御堂
寛仁3年 1019 8月17日
穂坂御馬 駒牽、穂坂(甲斐)御馬。御堂
寛仁3年 1019 9月2日
駒牽、甲斐国勅旨諸牧御馬。 小右
宰相云、去夜、中納言能信奏御馬解文真衣、柏前。小右
寛仁3年 1019 9月20日
武蔵御馬 駒牽、武蔵小野御馬。御堂
寛仁3年 1019 9月23日
信濃御馬 駒牽、信濃望月御馬。御堂
寛仁3年 1019 9月25日
武蔵御馬 駒牽、武蔵諸牧(勅旨及立野)御馬。御堂
寛仁3年 1019 9月28日
上野御馬 駒牽、上野諸牧(勅旨)御馬。御堂
寛仁4年 1020 3月28日
◎甲斐権守 藤原範永。
寛仁4年 1020 12月30日
立野御馬 駒牽、武蔵国立野御馬事。小右
治安1年 1021 3月6日
令、飼馬寮之馬匠作乞取、遣都督許、云々。小右
治安1年 1021 8月17日
信濃御馬 駒牽、信濃勅旨諸牧御馬。小右
大外記文義云、今日駒牽、左衛門陣饗如例。
治安1年 1021 10月5日
真衣野御馬 駒牽、甲斐国真衣野牧御馬。樗嚢抄
治安2年 1022 2月2日
穂坂御馬 御馬を分け取らしむ。左経記
治安2年 1022 6月18日
◎甲斐守 藤原公業。雑事を申請し審議される。〔万寿二年(1025)見任〕小右
治安2年 1022 11月11日
穂坂御馬 駒牽、令分取穂坂御馬。左経記
治安3年 1023 2月27日
駒牽 前年分の駒牽。小記
治安3年 1023 5月23日
○源頼信 前石見守、源頼信、持来解由、云々。小右
治安3年 1023 7月29日
賜馬 資頼進胡禄二腰、駄馬七疋、令賜雑人、云々。小右
治安3年 1023 10月14日
◎甲斐守 甲斐守藤原公業が任国へ下るにあたり、藤原実資を訪問する。小右
治安3年 1023 10月25日
中津牧 石見中津牧進牛三頭、云々。小右
治安3年 1023 11月1日
献馬 入夜、信濃守惟任朝臣献馬一疋。小右
万寿1年 1024 3月1日
◎藤原公業 京都内火事により甲斐守藤原公業の邸宅が焼失。小右
万寿1年 1024 8月16日
信濃御馬 駒牽、信濃国勅旨諸牧御馬。小記
万寿1年 1024 9月19日
走馬 右大臣家貢進走馬毛付事合二疋、一疋鹿毛。小右
万寿1年 1024 10月12日
長言牧 臨夜従常陸長言牧貢進一疋(葦毛)。云々 。小右
万寿1年 1024 11月3日
◎藤原公業 甲斐守藤原公業が上京し、藤原実資を訪問する。小右
万寿1年 1024 12月1日
穂坂御馬 駒牽、甲斐国穂坂牧。樗嚢抄
万寿2年 1025 3月24日
◎藤原公業 甲斐守藤原公業、甲斐に下る。実資を訪問する。小右
万寿2年 1025 8月7日
真・柏御馬 御馬逗留解文を奏す。小右
万寿2年 1025 8月17日
駒牽 昨日駒牽事中納言実政、云々。小右
万寿2年 1025 10月3日
真・柏御馬 御馬逗留解文。小右
万寿2年 1025 10月4日
◎甲斐守 甲斐守公業志絹五十疋。云々。小右
万寿2年 1025 10月28日
献馬 陸奥守孝義、馬二匹(替毛・栗毛鮫)小右
万寿2年 1025 10月29日
貢馬 宰相来語次云、陸奥守孝義貢馬四カ所、後聞馬二匹者権大納言云々、小右
万寿2年 1025 12月
秩父御馬 駒牽、武蔵国秩父牧御馬。小右
万寿3年 1026
この頃 ◎甲斐守、平範国。五位蔵人(万寿九年)
万寿3年 1026 8月16日
信濃御馬 駒牽、信濃国勅旨諸牧御馬。日本記略
万寿3年 1026 8月28日
上野御馬 御馬逗留解文を奏す。左経記
万寿4年 1027 2月7日
笠原牧 甲斐など四カ国に、関白藤原頼道領遠江国笠原牧の使者を殺害した犯人の逮捕が命じられる。小右
(不詳)甲斐都留 関白道長《康保三年(966)~万寿四年(1027)》朗詠題詩歌集
甲斐都留
甲斐国都留の郡の千年をば 君が為延と思ふなるべし
慶賀
すへらきの君につかへて千年へん 鶴の毛衣たもとゆたかに
万寿4年 1027 7月29日
左中弁持来宣旨三牧、余有令奏文(上総国解)。小右
万寿4年 1027 8月7日
馬一疋(鹿毛、先日為政所進)小右
万寿4年 1027 8月15日
駒牽 日本記略
万寿4年 1027 8月24日
厩馬斃 去夜厩馬斃(藤原信通朝臣、貢、黒毛)小右
万寿4年 1027 9月19日
石見牧 昨日石見牧(中津原牧)進、牛四頭、云々。小右
万寿4年 1027 12月3日
給馬 昨馬給源永輔朝臣、云々。小右
万寿4年 1027 12月11日
貢馬 将軍頼行朝臣貢馬二疋。小右
長元1年 1028 1月26日
御馬処分 召 集故殿(道長)御馬二十余匹、令 処分 給。 左経記
長元1年 1028 3月5日
秩父御馬 駒牽、前年分、秩父牧御馬。日本記略
長元1年 1028 4月3日
上野御馬 駒牽、前年分、上野国勅旨諸牧御馬。 日本記略
長元1年 1028 4月15日
藤原公業、没。小記目録
長元1年 1028 8月23日
信濃御馬 駒牽、信濃勅旨諸牧御馬。小右
長元1年 1028 8月25日
信濃御馬 去二十三日信濃駒牽、中納言兼隆行其事云々。小右
長元1年 1028 9月24日
石見牧 石見牧(中津原牧)進贄并牛三頭。小右
長元1年 1028 10月20日
真衣野御馬 駒牽、甲斐国真衣野駒引。日本記略・樗嚢抄
長元1年 1028 12月10日
穂坂御馬 今日、穂坂の御馬分給。日本記略・樗嚢抄
長元2年 1029 1月24日
◎甲斐掾、秦成信。大間成文抄
長元2年 1029 8月16日
信濃御馬 駒牽、信濃国勅旨諸牧御馬。日本記略