甲斐史 御牧・国司等 三条天皇 在位(1011~1016)
寛弘8年 1011 3月8日
◎甲斐守 藤原能通。甲斐守藤原能通が、甲斐国に帰国に際して藤原実資を訪問する。小右
寛弘8年 1011 8月7日
真衣野御馬 真衣野御馬牽云々。年来多過式日牽之、或臨冬月牽之。而守式日牽之、依代始致勤歟。後年随形勢歟。小右
寛弘8年 1011 8月7日
献馬 夕天皇従 東三条第遷幸内裡、左大臣儲 公卿
寛弘8年 1011 8月9日
駒牽(国・牧名不詳)小右
寛弘8年 1011 8月11日
及所々饗比食禄等 、又御馬十匹被献之。有鑑賞。日本記略
寛弘8年 1011 8月16日
信濃御馬 駒牽、信濃国勅旨諸牧御馬。日本記略
寛弘8年 1011 9月25日
御馬御覧 不参御馬御覧騎事。小右
寛弘8年 1011 10月5日
秩父御馬 駒牽、武蔵国秩父牧御馬。権記
寛弘8年 1011 12月1日
上野御馬 駒牽、上野勅旨諸牧御馬。小右
長和1年 1012 4月13日
甲斐御馬 甲斐国に対し、真衣野牧・柏前牧・穂坂牧の年貢御馬の期日・定数通りに貢上するよう命令が出る。小野宮年中行事
長和1年 1012 8月14日
真衣野御馬 御馬を牽く、途中にて一疋繁死す。 小記目録
長和1年 1012 8月16日
信濃御馬 駒牽、信濃国勅旨諸牧御馬。御堂
長和1年 1012 8月17日
穂坂御馬 御馬逗留。問資業。如今朝来申答云。穂坂御馬逗留事、間資業、如今朝来申、(略)
而逗留解文有他人署。可令問其由。又所申之趣、注申文可令申之由、仰之了。(略)小右
穂坂御馬 穂坂御馬未到着。 小右
長和1年 1012 9月6日
御馬御覧。御堂
長和1年 1012 9月12日
御馬御覧。御堂
長和1年 1012 閏10月17日
献馬 上野守平維叙、献馬十疋。左衛門督頼通二疋。御堂
長和1年 1012 閏10月21日
献馬 将軍藤原兼光、献馬二疋。御堂
長和1年 1012 11月17日
交易御馬 御覧 取御馬頼従御馬後頼給之、云々。御堂
長和2年 1013 1月15日
◎甲斐権守 従五位下源保任。(五位蔵人に)職事補任
長和2年 1013 6月9日
覧、御馬。御堂
長和2年 1013 8月16日
信濃御馬 信濃国勅旨諸牧御馬。小右
長和2年 1013 9月4日
真衣野御馬 昨日御馬を牽く、今日解文を奏す。小右
長和2年 1013 9月20日
貢馬 一日貢馬黒糟毛、云々。小右
長和2年 1013 11月27日
献馬 頼国、献小馬十疋。御堂
長和2年 1013 12月28日
献馬 藤原済家、献馬十疋。御堂
長和3年 1014 1月10日
駒牽 前年分。小右
長和3年 1014 1月17日
◎甲斐権守 源保任。見任。小右
長和3年 1014 2月3日
立野御馬 駒牽、前年分、武蔵国立野牧御馬。小右
長和3年 1014 2月7日
献馬 将軍維良、献馬二十疋。小右
長和3年 1014 3月26日
御馬御覧 臨時祭。小右
長和3年 1014 8月17日
信濃御馬 信濃国勅旨諸牧御馬。小記
長和3年 1014 10月23日
信濃 筑摩郡洗馬牧の牧司忠明、荘園領主の大納言藤原実資に馬一匹を貢納する。長野県史通史(小右)
長和3年 1014 10月29日
御馬御覧 御馬乗、騎射、云々。小右
長和3年 1014 11月6日
御馬御覧 今日始進御馬御覧日、官人己下見参。小右
長和3年 1014 11月15日
御馬御覧 出御南殿。小右
長和3年 1014 11月30日
御馬御覧 府生公頼持来御覧御馬之見参云、小右
長和3年 1014 12月9日
駒迎。小右
長和3年 1014 12月28日
秩父御馬 駒牽、武蔵国秩父牧御馬。小右
長和4年 1015 4月23日
◎甲斐守 藤原能通。〔寛仁1年(1017)見任〕御堂
長和4年 1015 7月11日
播磨牧 播磨牧馬十疋引遣河内牧。御堂
長和4年 1015 8月17日
穂坂御馬 御馬逗留の事。日本紀略
長和4年 1015 8月20日
献馬 天皇自 左大臣枇杷第入御新造内裏西刻出御、御馬八匹献之、次有鑑賞 。
長和4年 1015 8月28日
上野御馬 上野国勅旨諸牧御馬、未到着。小右
長和4年
この年信濃御馬 駒牽、信濃国勅旨諸牧御馬。小右