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武川衆 山高信俊と信吉

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山高信俊と信吉
 信直の一子親重は別家し、孫信俊が嗣いだ。山高家一三代である。
十三代、信俊
慶長元年(一五九六)に、山高孫兵衛親重の長子として生まれた。はじめ通称を杢右衛門、のち三左衛門といった(左衛門・右衛門はもと衛門府の武官の称号で、国主級で衛門督、大名級で衛門佐、武将級で衛門尉の官途を受けるならわしであった。しかし南北朝期ころから形式化して肩書に過ぎなくなり、近世江戸中期になると衛門尉の称呼も忘れられて、たんに衛門と呼ぶに至った。山高家の記録もすべて三左衝門・杢右衝門とされているので、以後すべてこれに従う)。
 慶長十三年(一六〇八)にはじめて台徳院殿(いとくいんどの 二代将軍秀忠の誌号)に謁した。これが旗本の嫡男としての栄誉である。
慶長十九年(一六一四)養父信直(じつは祖父)が落馬の負傷が原因で歩行不能となったので、その届け出でを聞いた秀忠が本多正信に命じて信直の隠居を許し、嗣子信俊に信直の家督を継がせた。信俊時に十九歳。
**大阪の陣** 
慶長十三年(一六〇八)十一月大坂の陣が起こり、信俊は本多正信に属して出陣した。これが冬の陣である。大坂城にこもる豊臣秀頼方には大名の味方する者は一人もなく、ただ真田幸村・後藤基次らの有力な牢人が、功名と恩賞を期待して約一〇万の兵力が集まった。これに対して家康・秀忠父子は二〇万の大軍をもって大坂城を包囲したが、堅固な要害を力攻するのを避け、ひとまず豊臣方の戦意と防備を弱めようと謀り、ただ家康出馬のしるしとして、外掘を少し埋めることを条件として
 慶長十三年(一六〇八)十二月和議が成立した。しかし豊臣方は内堀までも埋められた上、牢人の大坂城退去、他への転封を強制された秀頼は、
元和元年(一六一五)四月再び開戦した。夏の陣である。しかし堀を失い城に頼ることができない豊臣方の軍は城外遠く出て徳川勢を迎え撃ったが敗れ、五月八日秀頼母子は自殺して豊臣氏は滅亡した。この勝利によって徳川氏の支配権は確立し、諸大名の完全な統制の上に中央集権の諸制度を定めることができた。
❖武川衆の諸士受難 駿河大納言
元和二年(一六一六)、駿河大納言徳川に仕えることを命ぜられた。忠長は秀忠の三男で幼名は国松、性俊敏で父母の愛を独占し、秀忠も世嗣にしようとした。家康はこれを憂え、国松の兄竹千代(家光)を世嗣と定めた。
 忠長は将軍の連枝として官位は従二位権大納言、禄高五五万石に至ったが、領民殺傷などの非行がかさなり、
寛永八年に甲斐に、翌年上野に幽され、
寛永十年(一六三三)十二月六日に自刃した。そのため家臣らは禄を失い、武川衆諸士にとり受難時代であった。
**信俊、徳川幕府へ**
信俊も浪人生活満九年ののち、
寛永十九年(一六四二)十二月に至って漸く再出仕の恩命に浴し、もとの如く采地三〇〇石を賜わって大番に挙げられ、ついで
承応三年(一六五四)八月御広敷番頭、
万治二年(一六五九)十二月二〇〇俵加増、寛文元年甲斐の采地を下総国の匝瑳・葛飾・相馬・豊田、常陸国新治、等の諸郡の内に移され、相馬郡、我孫子に治所を設けた。
寛文九年(一六六九)致仕、
延宝四年(一六七六)十一月十四日逝去。八十一歳。法号高山院殿月照宗徹。牛込宗参寺に葬った。以後山高家代々、当寺を葬地とする。
 
武川村文化財より
 
武川村(町)指定文化財 山高信俊、信保兄弟の手簡折紙一通(鳳凰山高龍寺蔵)武川村(町)指定文化財 昭和五十三年十一月一日指定
 山高の高龍寺は山高氏の菩提寺で境内には山高氏代々の墓がある。これを裏づける古文書もまた数多く残されている。この書状は慶安四年(一六五一)山高三左衛門信俊と同五郎左衛門信保兄弟が連名で興国寺に送ったものである。信俊、信保が父親英居士(孫兵衛親重)の遺志に因って、高龍寺を修造して興因寺の末寺とした貴重な資料である。
 兄信俊は、祖父信直の養子となり将軍家へ仕えたので弟の信保が、孫兵衛を襲名して高龍寺中興開基として力をつくした。親重は父と別に旧地山高村において二七〇石の地をたまわり、甲府城番をつとめ天正十九年大坂の役に出陣している。
  謹而致啓上候随而  先祖菩提所山高
  村高隆寺古来本   寺無御座候然間文
  親英居士近年存   立寺取立中尉被
  致死去候拙者共   去秋建立仕是教和尚
  申請住居成候彼地  文泰和尚奉開山
  興困寺御末寺    仕度侯多分親英望有之慎
  併小地之儀御座候間 御末寺諸役候節
  末代至迄彼寺御免  許被下候様仕
  度由堅役申置候加様 之旨様御同心方
  向後為証処として  本状差上候恐々謹言
   十一月四日
        山高三左衛門  信俊 書判
        山高五郎右衛門 信保 書判
  興因寺

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