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室町時代の 武川衆 山高氏~11代

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室町時代の山高氏
室町時代に入って、山高氏はどのように発展したか。この時代は史料の欠けた時代で、記述が困難なので、歴代の名前にとどめる。
山高氏歴代 初代 信方
一条与次義行の長男で、祖父一条総領甲斐守時信の嫡男として過され、山高甲斐太郎と号し、のち甲斐守となり、山高村に拠る。延文元年(一三五六)
四月五日没。葬地 山高村高龍寺。
  • 二代 信武
太郎、永徳三年(一三八三)十二月二十一日没、葬地、父に同じ。
  • 三代 春方 太郎
  • 四代 信行 太郎左衛門尉
  • 五代 経春 太郎左衛門尉、一本太郎兵衛尉につくる。
  • 六代 景信 太郎兵衛尉、一本太郎左衛門尉につくる。
  • 七代 信基 孫兵衛尉
  • 八代 基春 石見守
  • 九代 信之
越後守 武田信虎に仕え、天文九年(一五四〇)二月九日没す。法名甚秀道満禅定門、甲斐国巨摩郡山高村高龍寺に葬る。のち信直に至るまで葬地これに同じ。
  • 十代 親之
石見守 武田信虎および信玄に仕え、武川衆の旗頭であった。信玄の命を受け、武川衆をひきいて武田左馬助信繁の隊下に属した。永禄四年(一五六一)九月十日の信州川中島合戦に信繋が討死した時、親之は敵を討捕り信繋の首級に添えて信玄に献じた。このことにより、信玄は信繁葬送のことを親之に命じた。永禄九年(一五六六)六月十八日に没した。年五十八歳。法名を泰翁是快禅定門という。親之の女は知見寺家に嫁した。
  • 十一代 信親
内 信玄に仕え、永禄十二年(一五六九)相州小田原に発向し、十月六日の三増峠合戦のとき、奮戦して敵首を獲た。
元亀三年(一五七二)十二月二十二日、遠州三方原合戦において討死した。四十二歳。法名越岩常秀禅定門という。妻は武田家臣武川衆青木尾張守信立の女。
 
信方より信親まで十一代、鎌倉末から室町末戦国期に至る二百五十余年、なかんずく中間期の史料乏しく、記事不備なのは遺憾である。

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