○水害の村 武川
村域の河川は急流で平常は灌漑,用水に利用されるが豪雨時には大水害がしばしば起こった。
★特に明治2年(1869)7月には三吹村地内釜無川通り字上河原二番堤防をはじめ17か所が決壌し、田畑流失29町歩に及び,柳沢・山高村でも被害があった。
★明治31年(1898)9月の台風で釜無川の大氾濫が起こり,上三吹村戸数74戸が砂石に埋まった。今もこの災害に対し「上三吹水災碑」がたてられている。
★第2次大戦後は昭和34年(1959)8月に7号台風と9月に15号台風(伊勢湾台風)により村域は大水害を被った。流失民家129戸、死者23人,流失農地120h刮,堤防・橋梁のほとんどが損害を受けた。
この災害復旧は4か年の歳月と35億円の巨費を要したが,その結果,近代的国土建設の理想的工事が施され,農村自治の基礎ができた。