武川次衆の事
曽雌藤助 米蔵加左衛門尉 入戸野又兵衛 秋山但馬守 秋山内匠助 秋山織部佑 秋山宮内助 功力弥右衛門尉 戸嶋藤七郎 小沢善大夫 同名甚五兵衛 同名縫右衛門尉 小尾輿左衛門尉 金丸善右衛門尉 同新三 伊藤新五 海瀬覚兵衛 樋口佐大夫 若尾杢左衛門尉 山本内蔵助 石原善九郎 名取刑部右衛門尉 志村惣兵衛 塩屋作右衛門尉 山主民部丞 青木勘次郎
右、各ミ武川衆に定め置く所なり。仇って件の如し。
天正十年十二月十一日
というもので、折井氏が武川衆諸氏を代表して受領したらしく、原本は、埼玉県寄居町に居住される折井氏直系田中清二氏が所蔵する。
武川次衆二十六士は、天正十年十二月十一日、家康により武川衆と認められた士である。本来の武川衆は一条氏支流をもって組織された血族的武士集団であったが、時代の下るにしたがい、一条氏系以外でも、武川地域に所領を有し、居住する武士を包括するに至った。例えば米倉氏・知見寺氏・馬場氏・伊藤氏の如きである。
武田氏没落後、徳川家康に協力した武川衆武士団の外郭にあり、武功が顕著であった二十六士をあらたに武川衆に加えたもので、これは武川衆の権威の高さをよく物語っている。