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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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素堂、江戸の家・茶道今日庵について

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素堂、江戸の家・茶道今日庵について
素堂、七月、山田宗偏著の『利休茶道具図絵』の序文を著す。
 宗偏は延宝八年(1680)に『茶道便蒙抄』、元禄四年(1691)に『茶道要録』を書す。(未見)
 序文「喫茶の友……」「元禄壬午夷則上旬濺筆於円荷露葛村隠士素堂」
 (壬午夷則-十五年七月)
 
 素堂、素堂には茶道書関係の文書が三篇ある。『鳳茗記』・『茶入 號朝山』それに『利休茶道具図絵』の序である。
 奥書……前年便蒙(『茶道便蒙抄』)要録(『茶道要録』)ノ両篇ヲ出スト雖此図ヲ残ス。今厚イ志ノ求メモ切ニ且ハ先書疎缺ノ為ノ書肆上田氏ニ投ジテ板行ヲナシ、云々。
 〔茶道余談 宗偏〕
宗旦四天王の一人。宗偏流の祖。三州吉田の産。父は本願寺末京都二本松長徳寺の住職仁科道玄。故ありて母方の姓山田を称し、初名周覚、後周学。號四方庵・力圍斎。六歳の時、小堀遠州の門に入り学ぶこと九年、後宗旦に就き皆伝。偶江戸にて小笠原侯当時茶道地に堕せんとするを憂へ、宗旦を迎へ其弊を矯めんと企てしが、宗旦、宗偏を代らしめ、宗 江戸に下り、不審庵を称し、鋭意改革に意を用ひ数種の著書を刊行。宝永五年四月二日歿。年八十五才。(『茶道辞典』による)
 〔素堂余話〕
 『今日庵』
…素堂の家には宗偏から譲渡された宗旦筆「今日庵」の掛軸があった。これが後に『甲斐国志』に、素堂が「今日庵三世」を称したと記載された原因と思われる。
 素堂の一周忌追善集『通天橋』の草庵五物に、
 一、今日掛物 宗旦筆
仲秋の辞世風雅の人目出ざらめや。往日元伯が書る今日庵のいほりをけづりて、けふといふ文字ばかりはむべつきなからずとて毎に弄ばれたるを、

有明はけふの素堂の名残かな  郁文

とある。
 素堂が『甲斐国志』のいう「今日庵」を名乗った形跡は認められないが、宗旦直筆の「今日」の掛軸を山田宗偏から譲り受けて草庵に掛けて居た。宗偏も一時「今日庵」を名乗った事もあるようである。
 宗偏は四十三年間仕えた小笠原家を致任し、家督を甥の宗引に譲り、元禄十年(1697)七十一歳で江戸の本所に茶室を構えた。素堂五十六歳の時である。
 素堂と宗偏交遊を示す資料は前の「今日」の掛物と、茶書の序文くらいである。
 素堂が茶道に於ける「今日庵三世」を継承したことを示す茶道資料や素堂周辺資料は見えないが、三篇の茶道関係の文章や序文は素堂の茶に対する知識の深さを示している。

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