貞享1年 甲子(1684)素堂43才
◇ 素堂、『孤松』尚白編。発句二入集。
雨の蛙こは高になるもあはれ也
寒くとも三日月見よと落葉哉
【尚白】慶安三年(1650)生、享保七年(1722)没。
本名、江左大吉。近江国大津柴屋町住。医師。芭蕉が「野晒し紀行」の途次、大津に立ち寄った際に入門。『猿蓑』期の芭蕉の新風を理解できす、編著『忘梅』の千那序文をめぐって芭蕉との間に確執を生じ、以後疎遠となる。
◇ 素堂、三月、『ほのぼの立』高政編。芭蕉入集句と素堂の附句について。
枯枝に烏のとまりたけり秋のくれ はせを
鍬かたげ行霧の遠里 素 堂
《註》…新編『芭蕉一代集』昭和六年刊。勝峯晋風氏著より(P431)
『二弟準縄』の脇五體の證句打添
「枯枝に霧のとまりけり秋の暮」
「鍬かたけゆに烏の遠里」
口傳茶話の事ありとあるが、此脇句附は尾張鳴海の蝶羅が『千鳥掛』に洩れたものを『冬のうちわ』に拾遺した其の一つである。
加賀山代永井壽氏の許に真蹟を存する。として前句が掲載されている。
《註》「枯枝に」の句について(『俳聖芭蕉』野田別天氏著 昭和十九年刊)
嵐雪門の櫻井吏登の『或問答』に或人の問いに答えて、今は六十年も已前、世の俳風こはぐしく、桃青と申せし頃は「大内雛人形天皇かよ」或は「あやめ生り軒の鰯のされこうべ」斯る姿の句も致され候。梅翁(宗因)なんど檀林の棟梁として、枝になまきず絶えなんだの最中に侍りしを、季吟も難かしがられ、桃青素堂と閑談有りて、今野俳風和ぐる方もやと、三叟神丹を煉て、桃青その器にあたる人と推して進められしにより、然らば斯くに趣にもやと「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」の一句を定められし、是を茶話の傳と申すなり。云々
《註》…葛飾素丸『蕉翁発句説叢大全』
云ふ所の季吟、芭蕉、素堂新立の茶話口傳と云事いぶかし。素堂と季吟の対面はなき事なり。黒露に聞しが、是も右のごとく答へし。云々