素堂の俳諧感
素堂の俳諧感が遺憾なく現れているのが貞享四年(1687)其角の編んだ『続虚栗』の序文である。
これは一部の識者も認めている「不易流行」論は、芭蕉に先がけ素堂が唱えたことである。
芭蕉没後の門弟たちの「芭蕉俳論」の根底をなす俳論の裏側には素堂の考えが横たわっていたのである。
『続虚栗』の序は本文を参照していただくこととするが、その旨は、
風流の吟の跡絶えずに、しかも以前のような趣向ではない。……今様な俳諧にはただ詠じる対象を写すだけで、感情の込められているものが少なく情けないことである。
昔の人の云うように、景の中に情けを含むこと、その一致融合が望ましい。杜甫の詩を引用してそれは「景情の融合に在る」と説き、和歌や俳諧でもこうありたい。
詩歌は心の絵で、それを描くものは唐土との距離を縮め吉野の趣を白根にうつすことにもなり、趣を増ことにもなり、詩として共通の本質があるのだ。例えば形態のない美女を笑わせ、実体のない花をも色付かせられるのだ。
人の心は移り気で、終わりの花は等閑になりやすい。人の師たるものは、この心をわきまえながら好むところに従って、色や物事を良くしなければならない。
として、其角が序を求めた事に対して、『虚栗』とは何かと問い掛け、序文は余り気が進まないので断りたいが、懇望するので右のとりとめのないことを序とも何なりとも名付けよと与えれば頷いて帰った。
これは素堂が其角だけでなく芭蕉に対しても説いていることが理解でき、厳しい口調となっている。序文は漢詩や和歌それに俳諧も同じ文学性を持っており、景情の融合の必要性を指摘して情(心)の重要性を説いたものである。振り替って見れば、素堂は延宝八年の『俳枕』序に於いて、古人を挙げて、生き方の共通性を「是皆此道の情」と表現し、漢詩・和歌・連歌・俳諧の共通の文芸性は、この道の本質として、旅する生き方が重要な要素となって、風雅観が生まれると説いたのである。