山口素堂 『冬かつら』杉風編。
芭蕉七回忌追善集 素堂七唱 素堂59才
元禄十三年(1670)
ことしかみな月中二日、
芭蕉翁の七回忌とて、
翁の住捨ける庵にむつまじきかぎりしたひて入て、
堂あれども人は昔にあらじといへるふるごとの、
先思ひ出られた涙下りぬ。
空蝉のもぬけしあとの宿ながらも、
猶人がらなつかしくて、
人々句をつらね、筆を染て、
志をあらはされけり。
予も又、ふるき世の友とて、七唱をそなへさりぬ。
其一
くだら野や無なるところを手向草
其二
像にむかひて紙ぎぬの佗しをままの佛かな
其三
像に声あれくち葉の中に帰り花
其四
翁の生涯、
鳳月をともなひ旅泊を家とせし宗祇法師にさも似たりとて、
身まかりしころもさらぬ時雨のやどり哉とふるめきて、
悼申侍りしが、今猶いひやまず。
時雨の身いはば髭なき宗祇かな
其五
菊遅し此供養にと梅はやき
其六
形見に残せる葛の葉の繕墨いまだかはかぬがごとし
生てあるおもて見せけり葛のしも
其七
予が母君七そじあまり七とせ成給ふころ、
文月七日の夕翁をはじめ七人を催し、
万葉集の秋の七草を一草づつ詠じけるに、
翁も母君もほどなく泉下の人となり給へば、
ことし彼七つをかぞへてなげく事になりぬ。
七草よ根さへかれめや冬ごもり
さびしきまゝに 芭蕉
長嘯隠士の曰、客は年日の閑を得れば
主は年日の閑をうしなふと。
素堂此こと葉を常にあはれむ。
朝の間雨降。
今日は人もなしさびしきまゝに、
むだ書して遊ぶ。其詞
喪に居るものは悲しみをあるじとし
酒を飲ものはたのしみを主とし
愁に住すものは愁をあるじとし
徒然に任するものはつれづれを主とす
さびしさなくばうからまし と、
西上人のよみ侍るは、さびしさを主なるべし。
叉よめる、
山里にこはまた誰をよぶこ鳥
ひとりすまんと思ひしものを
獨すむほどおもしろきはなし。
長囁隠士の曰、客は年日の閑を得れば
主は年日の閑をうしなふと。
素堂此こと葉を常にあはれむ。
予も叉、
うき我をさびしがらせよかんこ鳥
とは、ある寺に端居していかし句也。
暮方、去来より消息す。
乙州が武江より帰るとて、
朋友・門人の消息どもあまたとどく。
其中曲水が書状に、
予が捨てし芭蕉の舊跡を尋て宗波に逢よし。
むかし誰小鍋あらひしすみれ草
叉云
我住むところ、弓杖二丈ばかりにして楓一本、
外は青き色を見ずと書て、
わか楓茶色になるも一さかり
嵐雪が文に
狗脊(ぜんまい)の薼にえらるゝわらび哉
出代やおさな心におもひもじ
(嵯峨日記)