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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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はせをくら 芭蕉の重要事項

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はせをくら
増訂『一話一言』 巻二十二
                 一部加筆

俳優権田某なる者、さいつ年雑談のあまりに、この駿河臺中坊某君の藩に、元禄の昔、はせを(芭蕉)翁、伊賀より初めて大江戸へ来たり給い、居を卜し蔵ありと言いしにも、其の頃は世のたつきひまなく心にもとめざりしに、去年霜月の頃偶々浅草へ罷りにしに、古本屋にて、この「はせをくら」の本を求めて閲すれば、彼の権田氏の言いしと実に符合せり。
 この辰四月二十七日、ものへまかりけるに、ふと思い出して中坊公の屋敷に立ち寄り、舊相識服部甚左衛門央勝(つちとし)に対面し折から、この「はせをくら」の事を問えば、甚左衛門が言いけるは、この三月頃より、「はせをくら」修理にかかり、昔の如く建て替え、今は大かた作事が出来てと言いしによりて、その御蔵を見たしと乞えば、服部氏自ら案内して見せけり。倉は長さ五間二間(十坪)計りの足高の蔵なり。今大工たちがここかしこをこしらえていて、未だ土をば塗らであり、即ちその御蔵の古き材を乞い得て帰り、一つの聯にし、今ご府内に楼川を築く宗匠なければ、江戸座古き宗匠満葉庵平砂〔二代目〕年七十有余、赤羽の辺りに庵しけるを行きて、この「はせをくら」の古き材へ「古池や蛙飛び込む」の句を題書させて、西川蔵珍とする。
 また服部氏の言いけるは、はせを翁伊賀より来たりし頃は、この屋敷の主人、奈良奉行にて、江戸のおはしまさず、明暦の災い(明暦3年)にこの蔵残りて有りしに、この藩中浜島〔当時の家老市之進〕とはせを翁と親類のよしみ有て、浜島に頼りしに、」未だに普請も出来ず有れば、この土蔵のうちに、はせをしばらく僑居なせしと言う。これより深川へ庵を結ぶと也。

 旭和居士〔当時坊長兵衛様より四代先讃岐守様〕〔花入れへ泰里の記文浜島氏より権方へも恵れたり〕楼汕君〔今小川町二千石 森喜右衛門様也〕長兵衛様大叔父也、中坊より御養子に御入被遊候中坊御舎弟也〕〔中坊長兵衛様御内〕服部甚左衛門央勝〔権二三十年之舊識也〕遊中坊御舎弟也〕

  文化六年(1809)巳十一月五日 西川権

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