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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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人見竹洞と山口素堂

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『升堂記』にみる素堂と竹洞
『芭蕉と三人の友』 沾徳・素堂・安適伝参考 小高敏郎氏著より 一部加筆 

先ず、『升堂記』の記事だが、これはすでに沾徳の項でふれた。勘兵衛の名でなく、山口素堂の号になっているから、のちに書き入れられたものであろう。入門の時期は荻野氏の推定のごとく、寛文初年(1661)二十才ごろ鵞峰に入ったと見做すべきであろう。しかし、この記事によって、今まで不確実であった、素堂の林家入門の事実が確証を得られたことは、注目すべきであろう。また、人見竹洞との雅交が、鵞峰門下の誼みに始まるという推定も有力になる。
次には、竹洞との関係について考えてみたい。竹洞は人見卜幽の姪である。卜幽は、羅山門下の俊足で、のち水戸光圀に仕え、始めて水戸の儒臣となった。その縁で、竹洞も業を羅山の子鵞峰に受け、幕府に仕えて儒臣となった。素堂との交友については、嘗て私は、同門の士として交わりはあったが、素堂よりも二十二才の年長であり、学者としての地位のちがいもあるから、その交友はさして密接だったとは考えられない、と述べたことがある(「芭蕉と同時代文壇について」解釈と鑑賞三十四年二月号)。
だが、その後朝倉治彦氏の御厚意により、竹洞全集を通読するに及んで、案外二人の交が密だったと認識を改めた。素堂の母の遠忌によばれたり、はるばると素堂の隠居に遊んだりしているし、あるいは素堂の嘱に応じて、硯の銘なども撰している。竹洞という人が、羅山、鵞峰、鳳岡など林家代々の人のごとく、カデミックな学者でなく、隠遁を好む餘裕のある、文人タイプの性格だったからかもしれない。また、『続猿蓑集』によれば、素堂に琴を贈ったりしているが、これも真に琴を愛したかららしい。竹洞は琴を愛し、明人心越禅師が帰化してくると、その琴に詳しいのを聞いて、これに学び、『琴弾指法』なる二書を著したという。耳もよく、音感がたしかであったようだし、次の逸話も竹洞全集に見える。すなわち、成化年中李大用の作った琴を心越禅師がもっていたが、これを修補しよう思い立った。そこでわざわざ材を伊予大津山中の古桐に求め、その藩主に乞うて之を得るや、竈の上に五六年も置いて枯らし、さらに数ケ月を費してその頭部を作り補ったという。器用だし、全く音楽好きであったわけである。竹洞はこういう性格だったから、俳諧などにも興味を有したであろう。すれば、『曠野』に載る
ひらひらとわか葉にとまる胡蝶哉  竹洞
の竹洞は、明証はないが、やはり人見竹洞とすべきであろう。ただ、蕉門の盛期に先立って、元禄九年に六十九才で歿しているから、その作品が他に載らないのではないか。隠遁を好み音楽を愛するような人だから、芭蕉とも仲よくなれたろう。生きていたら、素堂・沾徳・安適らと一緒に、芭蕉の追悼詠ぐらい手向けたかもしれない。
だが、素堂を介して、芭蕉と竹洞の交渉を考えるのはいいが、だからといって性急に石川丈山の漢詩の影響が芭蕉に与えられたとすることには、まだ躊躇を感ずる。たしかに芭蕉庵の六物は石川丈山の六物を模したものであり、芭蕉は丈山の高風を知らなかったわけではない。また竹洞も、その隠遁を好む性格から、丈山や木下長嘯子を敬愛したようである。竹洞が寛文六年に西遊した折の日記『寛文六年・1666 丙午添長日録』には、親友野間三竹が、
「自分は半百の齢になるまで多くの古老に会ったが、丈山と長嘯子ほどの人物はない」、
と語った由を録している。だが、竹洞はこの西遊のとき、三竹の介紹で丈山にはじめて会っただけで、その後寛文十二年(1672)には丈山が九十才で歿しているから、二人の交渉はさして密であったとは思えない。加えて、芭蕉と竹洞との交友もどの程度であったのかわからないのだから、この点から特に芭蕉と丈山を結びつけるのには躊躇するのである。そうでなくても、丈山の声名は当時の文壇に高かったから、その著述をよんで芭蕉が影響を受けるという方が、考えやすいように思う。だが、沾徳といい、素堂といい、当時の江戸文壇においては、かなり広い交友群を有した正規の漢学者であった。芭蕉はこの二人を介し、直接にまたは間接に、儒者と知り合いもし、漢文学の知識を得たことであろう。これは単に芭蕉と竹洞との交渉とか、「ほととぎす」の句の勝劣などという些事に止まらない大きな問題である。芭蕉に及ぼせる中国文学の影響というものを考える上に、芭蕉がこういう当時の漢学者グループと交渉があったことを想定することができるのである。芭蕉が素堂に漢学を学んだとか、『虚栗』は漢学の教養の深い素堂の影響だなどという性急な論にはやはり従えないが、漢学者グループの影響という観点から、芭蕉と中国文学の関係を揣摩する一つの手がかりが与えられるように思う。

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