元禄五年(1692)著。 素堂翁 五十歳。
『三日月日記』
我友芭蕉の翁、月にふけりて、いつとはわかぬものから、ことに秋を待わたりて、求めなし。
あるときは敦賀の津にありて、越の海にさまよひ、其さきの秋は、石山の高根にしはし庵をむすひて、琵琶湖の月を詠し、二とせ三とせをへたてて、此郷の秋と共にあふならし。
文月のはしめは、蚊のふせきも静ならす、玉祭頃はこれにかゝつらひ、在明のころ下絃のころも、雨のさわりのみにして、初秋は暮ぬ。 なかの秋にいたりて、はつ月のはつかなる日より、夜毎に文月のおもひをなし、くもりみはれみ、扉をおほうことまれ也。
我庵ちかきわたりなれは、月にふたり隠者の市をなさんと、みつから申つることくさも古めきて、入くる人々にも、句をすゝむることになりぬ。
むかしより隠の實ありて、名の世にあはるゝこと、月のこゝろなるへし。我身はくもれと、すてられし西行たに、曇りもはてす、苔のころもよかはきたにせよと、かくれまします遍昭も、かくれはてす。
人のよふにまかせて、僧正とあふかれたまふも、なほ風流のためしならすや。此翁のかくれ家も、かならす隣ありと、名もまたよふにまかせらるへし。
『三日月日記』
我友芭蕉の翁、月にふけりて、いつとはわかぬものから、ことに秋を待わたりて、求めなし。
あるときは敦賀の津にありて、越の海にさまよひ、其さきの秋は、石山の高根にしはし庵をむすひて、琵琶湖の月を詠し、二とせ三とせをへたてて、此郷の秋と共にあふならし。
文月のはしめは、蚊のふせきも静ならす、玉祭頃はこれにかゝつらひ、在明のころ下絃のころも、雨のさわりのみにして、初秋は暮ぬ。 なかの秋にいたりて、はつ月のはつかなる日より、夜毎に文月のおもひをなし、くもりみはれみ、扉をおほうことまれ也。
我庵ちかきわたりなれは、月にふたり隠者の市をなさんと、みつから申つることくさも古めきて、入くる人々にも、句をすゝむることになりぬ。
むかしより隠の實ありて、名の世にあはるゝこと、月のこゝろなるへし。我身はくもれと、すてられし西行たに、曇りもはてす、苔のころもよかはきたにせよと、かくれまします遍昭も、かくれはてす。
人のよふにまかせて、僧正とあふかれたまふも、なほ風流のためしならすや。此翁のかくれ家も、かならす隣ありと、名もまたよふにまかせらるへし。