誤伝 山口素堂の生誕地とされる 北巨摩郡白州町上教来石山口
☆ 現在の、山梨県北巨摩郡白州町上教来石(カキキョウライシ)宇山口(当時の上教来石村宇山口)
☆ 素堂の出身地については、『甲斐国志』を始め、山梨県の著作物や辞典等には、教来石村または上教来石村宇山口とあり、その多くは『甲斐国志』からの引用が目立つ。『甲斐国志』以前の書物には素掌翁の記載は見えない。
素堂から連綿と続く葛飾派の溝口素丸(初代素丸は長谷川馬光)が甲州街道を南下した折に著した『素丸発句集』の内に『甲信紀行』なるものがある。
後継者に上記の出身地の認識があれば、素堂の生家や足跡を訪ねると思われるが、山口や甲府についても何も触れていない。しかし当時から有名であった甲州街道下教来石村の「教化石」には立ち寄って句作をしている。
教化石にて
とんぼうや立かねて居る教化石
「甲信記行」
甲信紀行之内
富士しらね献立そろふ月見哉
同音取川にて
瀬々つよし夜更は虫の音取川
同苗吹川にて
小男鹿の笛吹川や幾めぐり
同稲中門下二葉子に始て対し
からみ合ふ枝のゆかりや道の萩
甲斐の山々目前に横はりふせれば
山々や董のむきしつくねいも
甲の琳鯉追善
秋つれなしなど此人をさそひ行
穂屋大明神の神前、石垣の上にははせを翁の碑あり「雪ちるや穂屋の薄」の句あり
我とても穂屋のいなごぞ飛めぐり
甲州記行之内 素英留別
待たまへ土産に不二と十三夜
甲州記行之内 素明亭
着て行や厚き情をきくの笠
信州上諏訪 朱雀亭
菊と洒の香をしたい来ぬやつれ蝶
曾良の後裔 季郭の許にて、翁の真跡余多々一見して
薬草の棍の薫りしる花野哉
素堂忌
雁もけふ初音の松や素堂の忌
蓑虫の辭やけふの千部経
此翁下谷に月を見果けり
良夜絢堂の会にまかりて、黒露の著『まか十五夜』(まかはんや}を塾覧するに其の日は素堂の忌日なれば
素堂忌の夜話に徳あり摩詞月見
感應寺深川の月それながら
《註》順不同。寛政八年刊。日本俳書大系所集〉