大萱のお姫さま(八の宮の祝神)北杜市武川町 口碑・伝説
『武川村誌』一部加筆
御門の勘気にふれ、後陽成天皇の第八皇子に良純法親王という方がおられた。この皇子を八の宮ともいった。この八の宮が都落ちしてきて、数人の家来と大萱の下に住み、家来と一緒に田や畑をつくり、十四、五年住みついていた。その住居あとには、家来の墓も残っている。子孫は柳沢へ行って落ち着いたという。
八の宮は高龍寺や高龍寺の末寺の興源寺(今は廃寺)へよく遊びに行った。高龍寺には、いまでも八の宮の書いたものが残っている。
その時に住居近くの山の上に、ほこら(祠)をたてて、祝神とした。今でも、その祠は二つ残っている。その祠は、お姫様を、祀ったものであるというが、実はお稲荷さま(狐)を祀ったものであった。だから狐火が遠くから見えたという。またこの神様の霊験はあらたかであったという事である。
その山の木を切った人は、必ず不幸がおきたものである。明治四十年ごろ、山高、黒沢に赤痢病がはやった。年寄りが占い師にみてもらったところ、この神様を粗末にするからだといわれ、春のつつじの花が咲くころ、赤飯や寿司を供えて、お祭りをした。そのお祭りは明治末期から正四、五年ごろまで続いた。
今は祭りも行われず山の中に、祠が静かに祀られているだけである。
(高齢者ふるさと学級編)